アクティブティーチャーの挑戦 第三十一回(月刊高校教育10月号掲載)

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アクティブティーチャーの挑戦 第三十一回(月刊高校教育10月号)

共立女子中学高等学校
鮫島慶太先生

「生成AI時代の教育」

≪共立女子中学高等学校について≫

本校は、東京都千代田区にある私立女子中高一貫校です。進学校としてある程度合理的なカリキュラム編成はなされていますが、中学には「礼法」、高校には「フランス語・中国語」「被服・食物」「美術演習」などリベラルアーツを意識した選択科目も用意されています。

部活動も盛んで加入率は中高ともに90%以上を超えます。全国大会常連のバトン部や一般的な運動部の他に、生物班・化学班・地学班がそれぞれ独立している科学研究部、ジオラマ製作で世界大会に出場した地理歴史部、古典文化部、能楽部、映画部、放送部、演劇部など豊富な部活動があります。行事の数も多く、支援型リーダーシップを重視した教育の中で、生徒全員が何らかの形でリーダーの役割を経験する機会を大切にした学校生活が一番の特色と言えます。

生徒の特色としては「元気な女子」が多い学校です。生徒たちの興味関心の幅は広く、進路先も一般的な女子校に比べて芸術系・医療保健系・実学系・人文系と多岐に渡ります。豊富な行事や多様な部活動を通して、日常的にコミュニケーション能力が鍛えられている生徒が多いと思います。表現力についても、言語化が得意な生徒、アートを通して自己表現することを好む生徒など、女子校だからこその多様性を保持しています。

≪私自身の歩みについて≫

私は、1990年より共立女子第二中学高等学校(現在校の姉妹校)の英語教員としてスタートしました。着任当初から、オリジナルにこだわった教材作成に力を入れてきました。当時は、教材作成用のデータベースソフトもない時代でしたから、既存の教材をそのまま使うか、ワープロで打ち直しをする教材開発が主流の時代でした。その中でも、目の前の生徒に最適化した解説や問題を意識した教材開発を行いました。1997年には、当時としては他にあまり例がなかったHTML型の教材開発、ゲーム要素を入れたRPG英語教材開発などを行い、生徒の学習習慣定着を重視しながらも、興味関心を引き出す工夫を常に心がけてきました。

2003年に共立女子中学高等学校に学内異動した後は、三省堂検定教科書『CROWN』の教員用マニュアルの執筆、2010年以降はZ会の教材共有サイト『English Laboratory』の立ち上げ、Z会検定外教科書『New Treasure』の執筆協力や編集委員、教育開発出版の「思考力養成」をコンセプトにした新しいタイプの英語教材『English Discover』の監修など外部連携を積み重ねながら、学内の英語教育のアップデートに取り組んできました。また、動画授業、AI教材の開発などにも注力し、現在も生徒の多様な学びの実現に取り組んでいます。

2010年にZ会主催で開催された『New Treasure研究会』での登壇をきっかけに、久保敦代表が立ち上げたESN英語教育総合研究会に参加しています。かえつ有明中・高等学校の英語教諭山田英雄先生を代表とするCritical Thinking研究の分野で副代表を任され、日本の教育の中であまり注目されてこなかったスキルの養成法の研究に英語教員として関わってきました。

また、ICT活用についても、音読アプリ『Repeatalk(コトバンク社)』やAI利用教材『トレパ(デジタルナレッジ社)』のアンバサダーとしての実践を通して様々な試行錯誤を重ね、実践例の発表も積極的に行っています。さらに、2015年の熊本震災支援がきっかけで始めた英語の解説動画作成にも取り組んでいます。

ESN英語教育総合研究会では、2016年、2018年、2021年、2023年に発表者として登壇。2018年には『未来の先生展』、『TOEFLアライアンス総会』、AI Speakingアプリ『Terra Talk(JOYZ社)』デジタル教材活用イベント、などでも、ESN英語教育総合研究会での研究成果として、オリジナルのデジタル教材、従来型のOpinion Factの2分法を批判的に発展させた『4分法読解術』、文脈を踏まえた上で論理的な思考を駆使して作文を行う『Logical Writing』などの実践例を紹介してきました。また、2022年より立ち上げた『女子教育研究会FEN』では事務局長を務め、主にファシリテーターとして教員、社会人、起業家、大学での研究者などを招き、女子教育に関する発信のプラットフォーム作りに取り組んでいます。

≪ICTやAIの活用の留意点について≫

ICTやAIの活用については、気をつけるべきことが2点あります。1点目は、エビデンスの確認です。テクノロジーの進化による果実を教育現場が積極的に取り入れていくことには、異論はありません。これまでの教育でもテープがCDに替わるだけで、音声学習の機会は爆発的に拡大しました。また、ラジオがメインだった通信系の学習もYouTubeをはじめとする豊富な動画コンテンツにより、より多くの生徒の興味にあった学習の可能性が広がっています。

ただ、従来型の教育においても、教員の個人的な成功モデルの押し付けや、未検証の方法論の強引な運用などが教育現場では珍しくありませんでしたし、現在でもこの課題はあまり解決されていないことにも留意すべきです。この点は、私個人の実践でも反省すべき点は多々あるのですが、教育効果の測定についても検証についても、まだまだ教育現場は未成熟だと感じます。

こうした状況で、世界的にも検証やエビデンスが明らかになっていないICTの利用やAIの活用を無批判に進めていくことには慎重な姿勢も必要だと考えます。専門家による検証にも耳を傾けながら、現場にいる私たちも『シチズンサイエンス』(市民科学)の担い手として、常に批判的な視点も忘れずに実践に取り組むべきだと考えます。

活用について気をつけるべき点の2点目は、生徒の適性への対応です。ICT機器やAIの利用は、従来型の教育の増幅器としても、従来型の学びにパラダイムシフトを起こす道具としても大きな可能性を感じさせるものです。しかし、端末利用が目的化することで、従来は上手く機能していた学習者の学習を阻害する要因になる可能性にも注意すべきだと考えています。

実際に、短期記憶に課題を抱える学習者が、黒板ではなくロイロノートを採用して学習効率が向上するなどの事例がある一方で、端末利用によりモチベーションが著しく落ちる生徒の事例も見受けられます。学習者のタイプにも、映像タイプ ・音声タイプ ・対人タイプ ・文字タイプなど多様なタイプがあることが知られていますし、端末の利用についてもそれぞれの学習特性に合わせた活用を模索すべきであり、一律に同じやり方を強制すれば、ICT活用が個別最適化の最大の阻害要因となる可能性もあると感じています。

≪先生によるAIの活用法について≫

まず、英語の教材開発でのAI活用事例をお伝えします。『トレパ』『音読さん』などAIによるリスニング音源の作成によって、従来は非ネイティヴ教員には不可能だったリスニング能力を訓練する教材の開発が可能になりました。従来の翻訳精度から考えられないほどの進化を遂げたAI翻訳の『DeepL』の登場により、教材開発の能率は格段に進歩しました。

そして、2022年末にブレイクした生成AI『ChatGPT』は、語学学習のほぼ全ての分野における作問などをかなり高度な次元で自動化することを可能にしています。テーマをプロンプトで指示するだけで論説文・物語文を問わずオリジナルの英文を創作出来ますし、既成の英文、創作した英文を問わず、内容の理解度を確認する問題は瞬時に作成することが出来ます。

ただ、逆にAIが鮮やかに提示する英文にも設問にも、従来私たちが取り組んできた教材開発や入試問題に見られる課題を共通して感じることも少なくありません。つまり、単純なスキャニングや消去法で解答出来る問題しかAIには作成出来ませんが、私たち人間が作成してきた問題も大差がなかったということです。深いレベルでの読解力を試すような問題を作るのは骨が折れますが、逆にシンプルなリニア型思考を前提とした作問なら既にAIがいくらでもやってくれます。したがって、私たちは、人間にしか(現状)出来ない、難しいと思われる「生徒に考えさせる問い」の創造に、より多くの労力を掛けることが出来る時代になったと思います。

英語だけでなく他教科でも、定期試験の素案を作成する際に『ChatGPT』を活用するケースは少しずつ増えているように思います。ただ、ある程度丁寧なプロンプトを準備しないと、「ゴミを入れればゴミが出てくる(Garbage In, Garbage Out)」のがAIですから、プロンプトについての学びが教員には必要になってくると思います。

次に、英検の添削指導についてです。生徒のWriting能力の向上には、添削が最も効果的であることは言うまでもありません。ただ、ネイティヴ教員による添削にも日本人教員による添削にもリソースという点で大きな課題があり、アウトプットとインプットの総量には限界がつきものでした。

しかし、『Chat GPT』による添削は、この課題を一気に解決する可能性を持っています。生徒たちは自分が好きなだけAIによって添削のフィードバックを受けることが可能になり、今後はこの分野の学習で大きな成果を期待して良いと思います。ただ、AIはどこまでいっても「増幅器」に過ぎません。基礎的なスキルが高い学習者が活用すれば、従来では考えられない成長曲線で力を伸ばす可能性があると同時に、基礎的なスキルが備わっていない学習者では、そもそも何をどう直されたのかを理解することも難しいでしょう。将来的にはこの課題もAIが解決する可能性はありますが、少なくとも当面はこうした基礎スキルの低い学習者には、教員が伴走しつつ支援する必要があります。

また、このAI添削によって、従来私が行ってきたSpeakingとWritingの統合活動『STAR TALK』も数をこなすことが可能になりました。Writing部分の添削をある程度AIに任せることが可能になったので、Speakingの準備として開発した『Opinion Tracker(発信内容をツリー型でまとめるシート)』の作成に授業をフォーカスさせることが可能になり、そのおかげで多様なトピックを扱うことが出来るようにもなりました。

≪日常業務におけるAIの活用法について≫

AIを業務で使うことに慣れている人であれば、単純なルーチンワークを簡単なアルゴリズムとしてAIに任せることも出来ると思いますが、単純業務ですらAIを自在に活用出来るスキルは、ほとんどの教員にはまだ備わっていないと思います。

そもそも、自動化が可能であっても、安易にしてはいけない本来業務が多いのが教員の仕事です。生徒や保護者からの悩み相談にAIを使うことは誰が見ても妥当ではないでしょう。そうした本来業務に専念したい教員には、非本来業務を自動化したいという動機はあっても、それを可能にするスキルアップの時間がない、というのが現場が抱えるジレンマではないでしょうか。本校では、時間割の作成などの校務を外部からの支援で軽減化することに取り組み始めました。外部から支援して頂ける教育関連企業のサービスがAIの力でより利用しやすくなる可能性に期待しています。

≪生徒の生成AIの使用について≫

現状では、授業中には生徒に生成AIを使わせていませんが、家庭学習では、積極的に活用することを勧めています。これまでの教育現場でも、問題集の解答は生徒には学期末まで渡さないというやり方に固執する先生も、多くはありませんがいました。もちろん、そうすることで得られる教育効果を全否定しませんが、AI以外にも様々な便利なツールは存在しますので、そうした「情報格差」を利用した教育活動は限界なのだと思います。

ただ、ドンドン使えば良いのだという声にも注意が必要だと感じることもあります。将来的には、考えるきっかけとして授業中でもAIを活用する場面が出てくるかもしれません。しかし、ゼロから一を生み出すことや、混沌から苦心して言語化する労力を省くことが、生徒1人1人の発達段階に合わせた創造性を阻害する可能性についても、私たちは慎重に考える必要があると思います。

一方で、自宅学習には積極的に使うよう指示をしています。しかし、まだ生徒の側にもそれほど浸透しているようには感じません。英文の添削のような活用法には、意義を感じている生徒も多く積極的に使う動きはありますが、知識習得のレベルでは、使うことに意味が無いと感じている生徒も多いと思います。

学習者自身が自分の成長のトータルコーディネーターとして機能していれば、教員側がいちいち指導する必要はないでしょう。ただし、学習者自身が目の前の学びを全て「片付けるべきノルマ」としてしか見ていないようなケースでは、教員が介入する支援も必要になると思います。いずれにしても、学習の動機づけといった次元では教員の仕事はこれまでと大きく変わらないのかもしれません。

志望理由書の作成について、生成AIを使っていいのかという議論がありますが、私は積極的に使うように発信しています。ただ、AIの限界についても同時に発信するようにしています。志望理由書のような創造的な活動では、AIを活用する前に何が生まれるのかは、ほぼ決まっているということです。幼稚なレベルでしか自分の体験を言語化出来ない、体験の意味を浅くしか理解出来ないという生徒では、AIを活用したところでまともな志望理由書は作成出来ません。

もちろん、多くの成功モデルとなる志望理由書を大量に学習させることが可能であれば、AIは単純な志願者への問診で、かなり高度なレベルの志望理由書を創作してしまう時代も来るのかもしれません。しかし、あくまで私見ですが、現状ではそうしたデータベースがすぐに出来るとは思えませんので、「AIを使って志望理由書を書くのはずるい」と言えるほどの成果は期待出来ないですし、AIを活用して素晴らしい志望理由書が書けるのであれば、それはAIを使わなくても素晴らしいものが書ける生徒が利用したと言えるケースが多いのではないかと思います。

≪これからの日本社会について≫

「Society 5.0の時代に活躍出来る人材の教育を」、という発信を経団連などの経済界を中心によく見かけます。しかし予測不可能なVUCA時代、しかも変化の激しい時代に、「逆算思考」で教育から社会を変えていこうとすること自体が倒錯でしかないと私は思います。そもそも長期停滞している日本社会の課題は、教育が悪かったからでも、子どもたちが駄目だったからでもありません。学校を出たら学びを止めてしまう大人が招いた停滞だと思います。「学び」は「自己責任」で行うべきものではなく、生涯を通じて保障されるべきもので、ゆえに社会に還元されるべきものだと思います。

現在、中教審で発信されている「Well-being」も「獲得型」だけでなく「利他型」を提唱していますが、大人の課題を子どもの学びに責任転嫁する社会、学びを自己責任とし一方的に資本や学術への奉仕を強いる社会の中で、「利他型」の「Well-being」を志向する人間が育つのでしょうか。私たち大人が生涯を通じて学びを保障する社会を構築することが出来て、はじめて教育でも「Well-being」を考えることが出来るように思います。

≪これからの学校について≫

ベースとなる社会がネオリベ(新自由主義)的価値観であれば、教育が商品化するのは至極当然の結果であり、教員もサービスを提供する商品の一部でしかなくなるのも当然の論理的帰結だと思います。上記のような学びを保障する社会になれば、学校は「コモンズ」としての存在意義を回復することになるでしょう。

そうなった時に教員に求められることは、「学校」という場を「閉じた聖域」にしせずに、広く誰でもアクセスし活用出来る場として市民社会に開いていくことだと思います。そのためには、AIをはじめとするテクノロジーの活用だけに心を奪われるのではなく、人と人との出逢いを大切するマインドと多様性に対して寛容でいられる組織構築(授業設計・クラス経営・学校経営を含む)を実現することが、大切な教員の責務となるかも知れません。そのためには「開放性」と同時に「流動性」を担保することで、従来のウェットなムラ社会ではなくドライで暖かい場作りが必要だと考えます。

≪先生方へのメッセージ≫

現在は、従来型のリーダーシップが通用しない時代だと言われています。過去の成功モデルの再現は、そもそも困難な方向に時代は変化していますし、これまで評価されてきたリーダーシップが内包していた有害な要素も明らかになってきました。

今の私たちは、身近なところにも、日本全体を見渡しても、頼るべき教員のロールモデルが存在しない時代を生きているのだと思います。だからこそ、私を含めて教員は、伸び伸びと自らがワクワク出来るような学びの場として学校を生きればよいのだと思います。失敗して凹んでも元に戻るレジリエンスこそが、大人にとっても子どもたちにとっても、「Well-being」の中心だと思います。それが可能な場作りを目指して、子どもたちとともに希望を持って頑張っていきましょう。


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