アクティブティーチャーの挑戦 第三十三回(月刊高校教育12月号掲載)
学事出版『月刊高校教育』にてFind!アクティブラーナーの連載がスタート!
こちらでは冊子の記事をWEB版として公開しております。
アクティブティーチャーの挑戦 第三十三回(月刊高校教育12月号)
霞ヶ浦高等学校
山下真紀子先生
「養護教諭の仕事とチアダンス部顧問について」
≪霞ヶ浦高等学校について≫
茨城県稲敷郡阿見町にある本校は、1946年、私立霞浦農科大学(現在茨城大学農学部)併設霞浦農業学校として創立しました。1949年に霞ヶ浦高等学校と改称し農業科と普通科を設置、1955年に農業科を廃し全日制普通科のみとなりました。
部活動がたいへん盛んな学校で、多くの部が全国大会や世界大会で活躍しています。たとえば、硬式野球部は甲子園に出場したり、プロ野球選手を輩出したりしています。全国トップクラスのヨット部では、インターハイで学校対抗3連覇を果たし、世界大会で活躍している選手もいます。また、レスリング部の卒業生が何人もオリンピックでメダリストになっています。
近年は、進学実績の向上が顕著であり、毎年多くの生徒が国公立大学や難関私立大学に進学しています。現在の生徒数は約1200名です。明るく素直で、挨拶のしっかりできる生徒が多いのが特徴です。また、欠席者や不登校の生徒が少なく、生徒たちは、楽しく元気に学校生活を送っています。
≪養護教諭の仕事について≫
1日の仕事の最初は、生徒・教職員の健康状況の確認になります。現在、本校ではLEBER(リーバー)という健康観察アプリを導入しています。特に、欠席の生徒については、クラス氏名・状況だけでなく、所属の部活動名、寮生かどうかなどの情報も把握します。その情報を、すぐに管理職・主幹教諭・学年主任所属のLINEグループで発信し、情報を共有しています。電子化したことによって、伝え忘れ防止、記録として残せる、早急な対応ができるなどのメリットがあります。
私は、養護教諭として、救急法の実習に力を入れています。そのために、日本赤十字の救急法指導員、消防の応急手当普及員資格を取得しました。本校の教職員は、2~3年ごとに応急手当講習の受講を必須にしています。事務職員、常勤講師・非常勤講師の先生にも受講してもらっています。この体制ができたのは、先生方の協力、優れた組織力の賜物だと、感謝しています。
また、私は保健体育の教員免許も持っており、保健の授業をサポートすることがあります。たとえば、担当教諭と協力して、応急手当実技実習の計画と運営、指導にあたっています。
このように、救急法の実習に力を入れているのは、養護教諭が現場に到着するまでに、その場にいる教職員または生徒ができることをやれるようにしておきたいという思いからです。約1200名の生徒がいて、養護教諭は私1人だけです。部活動がたいへん盛んな学校でもありますので、もしもの時に、周りにいる者が、応急手当をできることはとても大切だと思います。
≪防災訓練について≫
皆さんの学校では、防災訓練はどのように実施されていますか。本校では、毎年、防災訓練をレベルアップさせています。そのため、私自身が防災について徹底的に学び、防災士の資格を取得しました。なぜなら、周りの人に動いてもらうためには、まず自分が動くことが大切だと考えたからです。
防災訓練は、町の消防署、女性消防団、町役場の全面協力で計画・運営をしています。さらに、私は、生徒たちの救護班をつくり、生徒同士で助け合う学校づくりを夢見ています。
また、地区の養護教諭の研究グループで、他校の防災教育について情報交換を実施し、各校で形式化していると思われる訓練をどれだけリアリティのあるものにできるか、そこに養護教諭がどのように関われるか、などについて研究をしています。
さて、本年度の1学期の防災訓練(地震対応)は、抜き打ちで実施しました。6時間目の授業中に実施したのですが、実施することを事前に知っていたのは、校長はじめ5名だけでした。実際に抜き打ちの防災訓練を実施してわかったのは、マニュアルは必要だが、マニュアルだけではダメということです。たとえば、特別教室で授業をしていた先生と生徒は、どこから避難すればいいか迷ったそうです。臨機応変に対応するための判断力と指導力、そして協力し合う気持ちが大切だと分かりました。
この抜き打ち防災訓練は、計画段階での担当組織内の協力、実施を許可してくれた管理職の協力、実施当日の教職員・生徒の協力があって実施することができました。抜き打ちで実施したことで否定的な意見がないわけではないのですが、「やってよかった」「気づきが多かった」などの意見が多く得られました。今後も、防災訓練は「抜き打ち」で実施したいと考えています。
≪不登校の生徒が少ない理由≫
近年、全国の多くの学校での不登校生徒が増えていることが報道されています。一方、本校には1200名近くの生徒がいますが、不登校生徒は一桁です。不登校生徒が少ない理由の一番は、担任・学年による丁寧な面談指導、学年主任を中心とした協力体制にあると思います。
また、欠席の多い生徒については、必ずスクールカウンセラー(SC)との面談を設定します。「やりますか?やりませんか?」の希望ではなく、一定の欠席日数を超えた場合は「SCとお話ししてみよう」という設定にしています。
「相談事は何もない」「言いたくない」「なんで休むかわからない」という生徒も、SCと話すことで、自分について振り返るきっかけになっていると感じます。教員ではないSCという立場だからこそできることだと思います。継続してSCを利用する生徒も多く、そのおかげで気持ちが前向きになる生徒も多いのです。養護教諭は、生徒とSCとの仲介役となります。本校では、週1回(月4回)、SCの方が来てくれています。
なお、本校では、保健室登校は実施していません。教室に入ることのできない生徒に対して、場合によって学年で別室登校を実施しています。保健室に来た生徒への声掛けについては、「おはよう(こんにちは)」/「どうした?」/「なるほどー」/「そういうときもあるよねー」といった感じです
ここで、全国の養護教諭の先生方へのメッセージです。養護教諭は未だ一人職も多く、それでいて仕事内容は多岐にわたります。仕事量もその責任も大きいと思います。でも一人職だからと言って、一人で仕事をしないことが大切だと考えます。
自分が大変な時、不安がある時、私は家族や職場の同僚、地域の養護教諭仲間に相談し、協力を求めます。自分ができることには限度がある、と完璧ではない自分を受け入れることも必要だと思っています。できない自分にイライラしたり、自己嫌悪に陥ったりするのではなく、自分の「適当」を見極めて、気持ちにゆとりをもつことを心がけています。
≪チアダンス部の顧問について≫
まず、顧問になったきっかけですが、第一子の育児休暇中に、本校は県内唯一の男子校から共学化されました。私が赴任した時は、男子生徒1800名、女性教諭は家庭科教諭と養護教諭だけという環境でした。共学校になった時に、野球の応援をしたいという女子生徒が同好会を立ち上げました。私が育休明けで復帰すると、「ちょうどいい先生が戻ってきた」と当時の管理職に言われて、顧問になることになりました。実は、私は高校時代にダンスの経験があったのです。
しかし、当時は「やりたいときだけ集まって練習する」というスタンスで、中途半端な活動を見直す必要があると考え、生徒たちと話し合いをしました。応援活動だけでなく、作品を発表することを目標に、部活動を優先できると言った生徒5人と再スタートをきりました。現在は約40名の部に成長しています。
日々の活動は、平日2時間、土曜日3時間、練習場所は、後発の部のため、体育館や柔道場を日替わりで提供してもらっています。練習内容は、基礎練習、作品創作、各種発表に向けての踊りこみなどです。コンテストや大会への出場、地域貢献としての外部イベントへの参加もしています。本年5月に開催された第4回茨城県中高生ダンスサミットでは、3位になりました。
チアダンス部と言えば、夏の高校野球の応援ですが、その事前準備、当日の暑さ対策はたいへんです。本年夏の大会では、茨城県大会決勝で、土浦日大に3対0でリードしていたのですが、9回表に逆転されて、惜しくも甲子園出場はできませんでした。その土浦日大が全国ベスト4になり、驚きました。
私が、部員たちにチアダンスを通して得て欲しいものは、「集団」としての仲間意識、仲間への思いやり、そして、学校の看板を背負って活動をしているという霞ヶ浦高校生としての意識(礼儀や挨拶、服装など)です。部活動は楽しい事ばかりではありません。辛い思いも、悔しい思いも、喜怒哀楽の多くを学べる集団であり、人間関係を築ける場だと思います。引退する時に、「チアダンス部でよかった」と充実感で満たされているような部活動であることを願っています。
≪全国の先生へのメッセージ≫
大学生の時、「“機会”は待っているのではなく、自分からつくりなさい。」と言われたことがあります。それは私の好きな言葉である「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」にも通じます。江戸時代の米沢藩主、上杉鷹山(ようざん)の有名な言葉ですね。
「新しいことを取り入れたい」と思う時、私はまず自分が学び、行動しなければならないと考えています。そして、その姿勢があれば、それに協力してくれる人、共感してくれる人、応援してくれる人など、自然と人とのつながりが広がっていく気がします。
今まで多くの先輩方に学んできましたが、最近は若手教員や生徒たちに学ぶこともたくさんあります。学校は生徒だけの学びの場ではありません。時には「教師」というタグを外して、生徒になってもいいし、一人では何もできない自分、足りない自分でもいいと思います。