概要
(本コンテンツは前編となります。後編と合わせてご覧ください)
「6年生のみなさん、今まで、本当にありがとう!」
3月のある日。
八王子市立弐分方小学校の体育館で行われた6年生を送る会で、私たちは想像をはるかに超える光景を目にしました。
下級生が6年生へ感謝を伝えていたのですが、その時、6年生だけでなく、1年生から5年生までの児童もみんな、大粒の涙を流していたのです。そして、先生たちも……。
なぜ、この学校はこんなにも結束力が強いのでしょうか?
その秘密は、「たてわり班活動」。
たてわり班活動は、日本全国ほとんどの小学校で行われていますが、その多くが年に数回という限られた活動。そして、目に見える成果は得られていないのが実情、という学校も少なくないようです。
しかし、当校の場合は、確実にその成果が出ています。
というのも、今でこそ、子どもたちは互いを尊重し協力し合って学校生活を送っていますが、清水校長が着任した当時は、学級崩壊をしているクラスが複数あり、学力も低く、先生方も疲弊していたそうなのです。
一番の問題は、子どもたちの自尊感情の低さでした。「自分には良いところがある」という質問に、「とてもそう思う」と答えた児童が16%しかいなかったそうです。これは、東京都の平均の半分にも満たない数値。
この問題を何とかしなければと、たてわり班活動を始めた結果、翌年には、何とこの数字が42%にまで向上したのです。
さらに、学力も、運動能力も向上してきています。子どもたちの自尊感情の高まりが、学級の安定、学校の安定へとつながっているのです。
「『たてわり班活動』は、学級では学べないことが学べる」
「異年齢交流を通じて、多様性を認められるようになる」
「上級生はリーダーシップを、下級生はフォロワーシップを身に付けることができる」
たてわり班活動の効果として言われてきたことですが、弐分方小学校では、これら全てが非常に高いレベルで実現されています。
弐分方小学校の「たてわり班活動」では、ただ班を組ませるだけではなく、たてわり会議、たてわり班掲示板、6年生だけのリーダー会議など、「たてわり班活動」を有機的に機能させ、子どもたちを「役に立つ喜びを知る子」に育てていくための様々な取り組みがなされています。
学級運営、教員育成、学力向上など、様々な課題に効果を発揮した弐分方小学校の取組みについて、清水校長にお話をお伺いしましたのでをぜひご覧ください。
Q.たてわり班活動とは?
清水 弘美校長(以下、清水) たてわりというのは、1年から6年まで異質なものが混ざっています。まず、異質なものを受け入れることが、たてわりの活動に含まれます。それを全員が受け入れて、その集団の中で自分はどう役に立てるかを一人一人が考えながら、それぞれが自分のポジションを見つけていきます。
アクティブ・ラーニングも主体的・対話的で深い学びですから、そういう点で言うと、やはり人の真似ではなくて、他の人とは違う自分の動きを自分で考えるという点では主体的になります。
当然、異年齢交流ですから、対話的という一面もあります。そういった学びでもあるので、アクティブ・ラーニングと異年齢活動は、大変リンクするところが大きいと思います。
たてわり班活動は指導要領で決まっていて、日本中すべての学校で行われているのですが、どこの学校も、実は同じような悩みを抱えています。それはどのぐらい力を入れているかという違いで生じてくるものですが、たいていは、「一応やらなければいけないから、たてわり班を組んで、学期に1回ぐらいずつ遊んで最後に交流給食をしましょう」ぐらいの活動です。
そうすると、交流給食の時に、全然知らないお兄さんお姉さん、全然知らない弟分妹分たちのところに、年に4回しか会わない中で、シーンとしながら給食を食べることになります。それが、教員も含めてもう嫌でしょうがない。教員も白けてしまって「6年生、何かしゃべりなさい」と言っても、6年生も知らない人たちの前で何をしゃべっていいか分からない状態なのです。
それは、うちの学校も全く同じ状態でした。そこで私は2年目から「たてわり班は固定にします」ということでお願いしました。固定というのは、1年から6年まで班を決めます。これは子どもの数によって変わりますが、うちの場合は30班あります。
例えば、1年生でたてわり班15班に入ったら、そのまま卒業するまで15班で卒業するのです。だから、6年生が卒業したところに新しく1年生が入る形になります。そうすると、他の子たちは6年になったら卒業しますが、ずっと1年から同じメンバーで上がっていきます。
そこが他の学校と大きく違うところだと思うのですが、そうすることによって、お互いのことがよく分かるようになり、すごく効果がありました。
うちの学校では、たてわり班で毎週水曜日、朝15分間みんなで遊びます。また、始めたばかりの時は、毎月1時間話し合い活動をしました。たてわり班での会議をしたのですが、1年生と6年生では言語能力も、まとめる力も全然違います。そういう能力差が大きくある中で、毎月話し合い活動を入れました。
あとは、学校行事です。例えば運動会。これも赤と白に分けますが、たてわり班は崩しません。例えば、たてわり班の1班から15班は赤で、16班からは白という分け方や、今年は偶数班が赤で、奇数班は白というように、赤白は変わりますが、たてわり班は崩さずに、たてわり班をしっかりくっつけて分けました。機会があればくっつけて、やるべき仕事を与えて、みんなでその壁を越えさせていく。そういう経験をいっぱいさせています。
あとは、全校遠足をするのですが、それもたてわり班で、朝から広場まで歩いて、着いてからもたてわり班で遊んで、たてわり班でお弁当も食べます。そして、班対抗のゲームもして、また、たてわり班で歩いて帰ってくるという朝から丸々一日、たてわり班で過ごす日も組んでいます。
さらに、木曜日には児童集会があるのですが、子どもたちの集会委員が考える企画にも、「たてわり班を使ったゲームを入れてくださいね」とお願いしてあるので、そこでもたてわり班でしっかりくっつけています。
子どもたちは大抵、自分の所属集団は何年何組というのを持っています。しかしそれ以外に、自分はたてわり何班という別の所属集団を持つことになるのです。
そうすると、クラスの中に居場所がない子、またはクラスの中では、能力的にいつもお世話されてしまう側の子ども、そういう子どもたちが、たてわり班の中では、自分より下の子をお世話したり頼りにされたりします。
またはクラスの中では、わんぱくし放題の子が、たてわり班の中に入るとお兄さんやお姉さんにぎゅっと押さえられて、きちんとすることを学んだり、クラスの中では学べないことをたてわり班の中では学んでいます。どちらが自分にとって居心地が良いかは、それぞれの子どもによりますが、とても大事な自分の所属集団の1つになります。
Q.異年齢交流活動に至った経緯
清水 私はこの学校に来て5年目になります。ですから、来た時の子どもたちの様子という話になりますが、まず学級崩壊がありました。いくつか学級崩壊があり、それから、先生方がたいへん疲弊した感じでした。その学級崩壊以降、教員が倒れていくと、それをカバーするため悪循環になって、結局どんどん教員が苦しくなっていくのです。そういう部分がありました。
それから学力についてですが、これはもう大変低いし授業が荒れてしまうのです。「どうせやったってダメだ」と言って、廊下に飛び出したり、授業中おしゃべりをしたり、立ち歩いたりという子どもたちがいました。
始業式の日、初めて「私がこれから校長です」というスタンスで朝礼台に上がった時、普通は全然知らない人でも、「これが今度の校長かぁ」ぐらいの感じで朝礼台を見上げますが、地面に座っていたり、おしゃべりしたり、こっちを見てない子などがたくさんいたのです。それを見て、これはなんとかしなくてはいけないなと思っていました。
中でも、一番問題だったのは、自尊感情の低さでした。これは、近隣の学校がお互いに、全国学力テストの中に入っている質問集の中の自尊感情という、「自分に良いところがあるか」という質問に対して、うちの学校の子どもは、良いところがあるとはっきり答えた子どもは16%でした。
「良いところがある/まあある/あんまりない/ない」の4段階になっていて、その一番高い「ある」と答えた子どもが16%だったのです。東京都や全国の平均は36%。つまり、だいたい3分の1ぐらいの子どもは、良いだろうと思っている平均の中で、うちの子たちは16%とかなり低かったのです。ちなみに、この近隣の学校の中でも一番低い結果となりました。
自尊感情が低いと頑張らないから、「やっても無駄」と思って、色んなところに悪影響が出ます。そのため、この自尊感情を上げようと思ってたてわり班を始めました。
Q.いいなタイムとは?
清水 どうしていいなタイムかと言うと、うちの学校の教育目標は「役に立つ喜びを知る子」という1本だけです。でも、その教育目標を達成するためには、賢い、優しい、元気なという言葉が後ろにあり、その賢いの「い」、優しいの「い」、元気な子の「な」で、いいなタイムと言っています。
つまり、うちの学校の教育目標の「役に立つ喜びを知る子」を育てるための特別に組み込まれた時間のことです。
時間としては、もちろん水曜日の朝の15分間遊ぶだけなのですが、遊びの中で子どもはいっぱい色々なことを覚えますから、結局はうちの学校の教育目標に向けた特別な時間になっています。
いいなタイムをやるには、まず初めに、何をして遊ぶかという話し合いをたてわり班会議で先にします。たてわり班会議は、1年から6年までが一緒になって話し合う会議で、その話し合いをスムーズに運営するために、その前に、リーダー会議というのを実はやっています。
そのリーダー会議は6年生だけを集めて、たてわり班会議の進め方を教員が指導したり、または自分たちのたてわり班の中の色々な悩みをお互いに交流して、共有したりする時間になります。6年生のリーダーを特別に育てる時間です。
そして、リーダー会議で学んできた力を使って、たてわり班会議をやり、そして、いいなタイムの4回の中で、何して遊ぼうかと話し合います。ひと月4回、何をして遊ぶかということを子どもたちが自分たちで遊びたいものを決めていく、ということをそのたてわり班会議で行うのです。
そして、決まったものを小さなカードに書いて、それぞれのたてわり班ごとが持っている掲示板にリーダーが貼ります。「明日は、いいなタイムです」「持ち物は赤白帽と縄跳びです」というように、やるものによって、掲示板に貼っておくわけです。
そして当日の朝、子どもたちはやってきて、自分のところの掲示板を見て、どこに集合かを判断します。集合場所も色々です。校庭の時もあれば、体育館の時もあれば、教室の時もありますから、全員が掲示板を見て、自分で判断して、そこの場所に行って、そして、いいなタイムを楽しむ流れになっています。
Q.今の学校の役割
清水 本来、地域で育ててきたものがあったと思うのですが、今ではその環境が地域になくなってしまいました。ただ、子どもがきちんと成長する上でとても必要なものだったので、その部分を学校でやろうということになりました。
例えば家庭で教えなければいけないことも、家庭の教育力が下がってきて、学校で引き受けているものもいくつかあります。
でも、せっかく学校というのは1年生から6年生までの、すごく幅の広い異年齢の子どもが集まる場所なので、そこでなければできない教育をしなくてはいけないと私は思うのです。それが、やはり異年齢交流の中で学ぶことではないかなと思っています。
Q.児童の変化
清水 そうですね。やはりリーダーの顔になります。最初はモジモジして、「集まってくださ~い」などと言って、それさえうまく出来ません。今までも5年生はリーダー組ですから、6年生と一緒にリーダーをやっているのですが、やはり6年生の補佐なわけです。
それを自分が先頭切って「はい、どうぞ」と言われないでしゃべり出す。「はい、どうぞ」と言われてからしゃべることは意外と出来るのですが、誰にも言われないで、自分の判断でしゃべり出すのはけっこう難しいです。そういうことが出来るようになります。
また、全体を見るようになりますし、小さい子の世話をするということも上手になります。何よりも、やはり声が大きくなって、堂々としゃべれるようになる。これはすごく大きいです。
国語の時間に、発表で「大きな声でみんなのほうを向いてしゃべりなさい」と言ってもしゃべれない子はしゃべれません。ただ、しゃべらないと聞こえなくて、子どもたちがどこかへ行ってしまうような状態だったら、大きな声できちんと呼びますよね。そういう環境で、子どもたちは相手にものを伝えるというコミュニケーションの力が育っていくのだなと思います。
また来年になると、4月の初めに今の5年が6年になるわけですが、その最初のいいなタイムをやった時に、たいてい次のリーダー会議で集まった時の情報交換で、「いやあ、5年生のなんとかちゃんは、まだ声が小さくって、みんなに意見がちゃんと説明できないんだよね~」や、「5年生のなんとかくんは、リーダーでみんなをまとめなきゃいけないのに、自分が遊んじゃってるんだよね~」ということを6年生が言います。
「もっと仕事をさせて、育てなきゃいけないね」と6年生が言うのを聞いて、まさに中間管理職のように、教員が言っているようなことを、子どもが言うようになります。5年生は面白いです。6年生はもう絶対リーダーだからいいけれども、5年生が6年生になるという境目が、面白いところですね。
Q.教員の教育方法
清水 これはすごく大きいです。私が一番育てたかったのは、実は子どもよりも教員です。教員が育てば、子どもは育ちますから。そして、教員はそれこそたてわり班だと思います。23歳から60歳までいて、何十年というたてわり班でキャリアも違う。それから、もちろん生きてきた時代も違う。それでも一緒の仕事をするのです。
全員が同じようにたてわり班を持って指導します。専門も違う。その時に、学級会をきちんと指導できる教員というのは意外と少ないのです。これはベテランであってもです。国語や算数の研究はするけれども、学級会の研究はあんまりしないので、話し合い活動の意味を考えるという教員が少ないのです。
そこで、たてわり班を全員に均等に持たせます。これが大事なことで、例えば、6年生の国語の授業と1年生の国語の授業は、ハウツーも含めて違います。6年生の指導は苦手、1年生の指導は苦手など、それぞれ教員に得意不得意があるのですが、たてわり班の中には1年から6年までみんないるので、6年の指導が出来ないなんて言えないわけです。ある意味、そういうところに教員を追い込むことも大事です。
でも実際、最初からは出来ないですから、よく出来る教員のたてわり班の指導をみんなで見て、それでたてわり班会議をやる日の前の週に、1つのグループだけ、たてわり班会議を先にやらせています。他の子どもたちはもう下校しているのですが、その班だけ残して、たてわり班会議をやらせました。
そして、それを全部の教員が見るのです。来週、自分がそれをやるわけですから、教員にとってはたいへん自分事になります。ですから、すごく一生懸命その授業を見るのです。これが教員にとってのOJT、つまり、仕事をしながら勉強することが出来るので、それが教員にとっての研修になっています。
そうすると、その研修の仕方をたてわり班で活かすことができ、また自分のクラスの学級会でも活かせます。ですから、どのクラスも、学級会のやり方が安定してくるのです。
そしてまた、たてわり班で集まりその技術を確認しあってまた分かれて、それぞれのクラスで学級会をすることで、話し合い活動に対する教員の技術がしっかり底上げされました。
そうなると、やはり荒れるクラスがなくなります。この先生は腕利きで、この先生はまだ未熟でという差がなく、どのクラスも安定した指導ができるようになるので、話し合い活動が学校の基盤として学級がすごく安定します。
また同時に、普通、多くの先生は自分のクラスの子どもだけを見るのですが、実は自分のクラスの子どもと、たてわり班の子どもも担当になりますから、1人の子どもに対して、クラスの先生とたてわり班の先生という、2つの担任の目がつくことになります。
この意識を高めることは、委員会やクラブ活動でも同様に役立ちます。高学年に至っては、1人の子どもに対して、4人の先生の目がつき、大勢で1人の子どもを見ているので、多面的に子どもを見ることができます。
そうすると、子ども自身の持っている色々な問題も人によって見方が変わるので、児童理解も深まっていきます。そうしたことも学級や学校の安定に繋がります。
学校が安定すれば、学力も伸び、体力も伸びます。そして当然、自尊感情も伸びることになって、とたてわり班はとても効果がありました。
Q.今後の改善点は?
清水 そうですね。環境の限界でもあるのですが、遊びがある意味、固定化してきています。そうすると、毎週遊んでいるのでマンネリ化しそうになり、いつもイス取りゲームをしてもつまらないとなっていきます。いくつか遊びはあっても、室内ゲームの域を出ないので、今後はもっと、たてわり班でクリエイティブなことをさせたいなと思っています。
今は、「みんなで遊ぶ」「絆を深める」「自分の居場所を作る」というところに一番力を入れてきて、そこは安定してきたと思います。
次は、たてわり班で何かクリエイティブなことをする。そうすると、クリエイティブなことというのはやはり大変ですから、どうしたらいいだろうとなりますし、年齢によって能力差があるため、高学年も一生懸命考えるようになります。下の子どもたちをうまく使うなど、そういうことを覚えていくようになると思うのです。
昔、それこそ地域でやっていた頃は、みんなで一緒に鬼ごっこや三角ベースをやったりしていました。その際、明らかに能力差があるから、あの子は鬼ごっこで捕まっても鬼にならないとか、三角ベースならあの子はここまで走れればいいなど、色んな工夫をしましたよね。
そうやって、自分たちオリジナルのゲームを作ったりして、遊んだものです。そういう遊び方にしても既成のものではなくて、自分たちオリジナルのものを作るとか、そういう活動を考えていけたらいいなと思っています。
Q.異年齢交流活動の先に
清水 人間は、出会って、一緒にいる人たちで作る環境の中で育っていきます。そうすると、うちの子どもたちは、たてわりの価値に気づき、責任を持って仕事をすることの意味も分かっています。今でもうちの子どもたちでもクラスの中に入ると、また違う顔になります。
いつもリーダーではいられない子もいますし、いつもペケでもない、たてわりの中では頑張った顔ができるような子どもなど、そうやって自分の中のいくつもの面に、子どもが気づいていくわけです。
そうすると、中学や高校になった時に、全くたてわりをしない環境に入ったとしても、その人その人の違いを受け入れる心はできていると思います。今は縦の年齢による必然的な違いですが、人は歳が同じでもみんな個性が違うので、その個性の違いを受け入れられる子どもになると思っています。
集団の中に入って、例えばいじめは自分と違うものに対して起きるので、それは自分と違うと受け入れられないということになります。でも、違うものを受け入れる下地を作っておくと、いじめるという気持ちが弱くなると思います。そうやって、社会の中でうまく生きていくための土台、基盤になっているのではないかなと思います。
あとは、中学校ぐらいになると、悪い仲間もいたりして、いつも良いことばかりできずに、少し道に外れることがあるかもしれません。
ただ、その中学や高校のつっぱっていた頃を抜けて、大人になった時に、今しっかりこのたてわりの中で作られてきた自尊感情は、また思い出せると思うのです。「どうせやってもダメだ」「勉強もできない」「価値がない」ということではなくて、自分に良いところがあるという自分自身の良さにも気づいてやっていけると思います。
やはりそういう意味では、人との違いを受け入れたり、自分自身の良さに気づいたりするような、そういう人生の基盤を作っていると思います。...
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