概要
「全員が分かるようになる授業」を追い求めたら「生徒の活動を邪魔しない授業」に行き着いた。
隠岐島前高校鍋田先生の生物授業とは?
◆「アクティブ・ラーニングをやっているつもりはなかった」
鍋田先生は今から5年ほど前、「自分がどんな工夫をして説明しても、結局全員を分かるようにすることはできない」という考えに至ったそうです。
鍋田先生はその現実と向き合い、授業のあり方を抜本的に変えました。
そして行き着いたのが「生徒の活動を邪魔しない授業」でした。
◆「先生の話、長過ぎ!」生徒が本音を言い、生徒と一緒に授業を作る授業の主役は生徒。
教師は場づくりをするのが仕事と鍋田先生は言います。
授業の終わりに生徒が書く振り返りには「先生の話が長過ぎた」と書かれることも。
そういった声をも大切にし、突き詰めてきた鍋田先生の授業とはどのような授業なのでしょうか?
鍋田先生にお話をお伺いしましたのでぜひご覧ください。
Q.アクティブ・ラーニング型授業を始めたきっかけ
鍋田 修身先生(以下、鍋田) 「きっかけ」というのは一番難しい質問ですね。私は、アクティブ・ラーニングをしているつもりはありません(笑)。このサイトのテーマはアクティブ・ラーニングですが、僕はアクティブ・ラーニングという言葉自体には、あまり関心がありません。
今のような授業をやり始めてもう5年近くになりますが、アクティブ・ラーニングという言葉が世の中に出る前からですし、アクティブ・ラーニングをしているというつもりは特にないのです。
アクティブ・ラーニングという言葉は、昔からあったのかもしれませんが、僕らは知らなかったし、僕らが知ったのは下村さん(元文部科学大臣)が言い出してからです。
諮問を出されて、そこにアクティブ・ラーニングという言葉が出てきて、そのタイミングからみんながワイワイし始めましたよね。僕らはあれが出た時に、逆に「ああ、やっとそういうのが出て、少し授業に対する捉え方とか考え方が変わる土壌ができたのかなと」思いました。
Q.以前は集団授業を行っていたのですか?
鍋田 昔はパワーポイントを使っていました。今日も生徒に「先生、喋るのが速すぎるから、もっとゆっくり喋ってくれ」とコメントを書かれましたが、僕は喋るのが速いのです。
どんどん喋っていってしまうほうだったのですが、それで生徒が理解できるわけではありませんので、結局それはあまり意味がないと行き着きました。
パワーポイントで授業内容を提示したところで、その提示されたものを理解するスピードは、みんなそれぞれ違います。当然、そのペースについていける子どもは生き残れるかもしれませんが、そうでない子どもはどんどん振り落とされていきます。だからそれはあまり意味がないと行き着いたのです。
Q.5年前に集団授業からAL型授業へ切り替えた理由
鍋田 僕は以前から「全員がわかる授業」を目指していたのですが、当時僕がやっていたようにパワーポイントを工夫したり、説明の仕方を工夫したりしても、結局「全員が分かる」ようにはなりません。だから切り替えを考えました。
それでいろいろな先生の授業から学ぶようになりました。そんなあるとき、たまたま実習があって、その実習を文科省の田代さんという方が見に来て、「あっ、鍋田さんのこの実習、西川さんの『学び合い』ですね」と言われました。
西川純は大学時代の友人なのですが、僕は当時『学び合い』についてはあまり詳しく知りませんでした。それで彼のところに聞きに行ったら、西川先生が『学び合い』について話をしてくれました。
当時の私のやり方は若干違ったので、「いや、僕は自分のこういうやり方で生徒みんながわかるような授業を目指しているのだけれど」と言ったら、「それは無理」と彼から言われました。
彼は、私のようなやり方では難しい、というようなデータも持っていたし、いろいろな教室で実際にやったものをきちんと取り上げて調べるということをやっているので、彼がやってきた実践や研究をずっと見ていると、ああ、確かに僕がやろうとしていたやり方では無理だなというのは僕も納得できました。
1回それがわかってしまうと、もうそのやり方で授業をするのはまずいですよね。全員の生徒がわかるようにはならない、ということが自分の中で明らかになっているのに、「みんながわかるように」と授業をするのは、自分を偽っていることにもなります。
実際に、授業中にわからない生徒が置いてけぼりになっていることも出ているわけですから、僕は「やり方を変えるしかない」となったのです。
Q.友人同士で積極的に議論している生徒もいれば一人で黙々と考えている生徒もいるがそれについてはどう考えているか?
鍋田 議論は、必要に応じてすれば良いでしょうし、別に議論しなさいとも言っていません。
ただ、困ったら人に聞くことは大事だと伝えています。困った時に人に「助けて」や「教えて」などと言える力が実はとても大事で、それができないと、孤立したり、自分で悩みを抱えたままでいたりという状況に繋がっていくと思っています。
はっきり言って、生物は別に知らなくてもあまり困らないのですが(笑)、やはり困った時に「困った」あるいは「助けてくれ」と身近な人や仲間などに言えることは、生きていく上で大事なことなのです。
だから、授業でわからないことがあったら、まず身近な人に聞くというのが一番いいと僕は思っています。
Q.周りの人に自分から聞くのが苦手な生徒に対するフォローなどは?
鍋田 「周りにわかっている人がいるから聞きに行くといいよ」と言うだけです。もう一つ大事なことがあり、それは「自分が踏み出すこと」なのです。
彼らが踏み出しやすい「場」を、一応は設定しているつもりです。でも、細かく言えば、「この子どもには、こういう場面をもっと作ってあげたほうがいい」などということもきっとあると思います。でもそれは結局わかりませんよね。少なくとも僕はわかりません。いろいろな先生が試行錯誤をして、手を変え品を変え、彼のためにいろいろやったとしても、逆にそれでまたわからなくなる生徒もいると思うのです。
だから一番いいのは、僕たちが介入することではなく、彼ら自身が周りとの関係性を自分から作っていくことなのです。
「教員が関係性を作ってあげなければいけない」と言っている人もいますし、それを一生懸命やられている人もいるのですが、「関係性はそうそう作れるものではない」と僕は思います。結局、関係性を作るのは彼らなので。
しかし、僕が普通に一本調子でずっと講義をやっていたりすると、当然、彼らが関係性を作る場所を失わせてしまいます。だから、その場所を提供するのが教師の役割だと思うのです。
Q.授業で工夫していること
鍋田 工夫がないのがいいところかなと思っています(笑)。根本的なことですが、教科の内容に関しては、余計なことが多いのです。どうでもいいこともたくさん教科書に書いてあるので、本当に大事なことや、理解していく上で必要なこと、それだけを絞り込んでいます。
僕は、よく授業中に「授業の目標」として伝えているのですが、私がいろいろな資料を見て考えた大事なキーセンテンスを、その「授業の目標」に書いているので、それさえわかればいいと基本的に考えています。
だから、「あれもこれも」にはしていないというのが、強いて言えば工夫かもしれません。そうすると、生徒たちは理解するのに的を絞れるので、まずそれを、自分たち自身できちんとわかるようにしましょうということだと思います。
あとは、毎回の授業の最後に、生徒にコメントを書いてもらっていますが、いろいろな意見が出てきます。それを全員が見えるようにして返して、素直に自分のコメントも出す、ということをしています。
例えば先日、試験前だったのと、少し単元の流れが変わるので、生徒に説明したほうがいいかと考えて少し説明をしました。試験のこととその中身の二つのことを話していたら、15分から20分ぐらい喋ったのです。僕自身も長く話してしまったなと思っていたのですが、やはりちゃんとコメントの中に「長い」とか「自分たちでどんどんやりたい」と意見が出てくるのです。
そういうやり取りは普段あまりできないので、生徒に書いてもらった意見を僕は全部そのまま全員に返します。例えば「先生からのこういう発言があって不快でした」などと書かれても、それもそのまま書き直さず戻します。とにかく書き直さないのが大事です。ここで僕がいじったり、意見を間引いたりすると、ここに僕の気持ちが出てしまいます。だから素直に、受けたものは全部みんなが見えるようにして返しています。
そして、「今こういう状態でこういうことを考えている人がクラスにいる」ということを明確にしたうえで、それに対して、僕が自分のコメントをきちんと出すようにしています。信頼をしてもらうことはとても大事だと思います。
だから工夫というよりも、大事なことをきちんと落とさないようにやることかなと思います。
Q.生徒とのコミュニケーション
鍋田 振り返りを大切にしています。今日も授業の最初に配りましたが、前回の授業の振り返りを授業前の休み時間中に配っておくと、見る子は見ています。
「ああ、前回こうだったな」とか、「自分の書いたコメントはきちんと書かれているか」というのはきっと見ると思うのです。名前を載せると「誰が書いた」となってしまうので、名前は全部外していますが。
今回は、特に最終回だったので、前回の授業の段階でまだわかっていなくて困っている人には黒星印をつけました。「まだこれだけの人が困っているよ」とか、「こういうことで悩んでいるよ」というのがわかるようにしています。
あとは、今日も授業の最初で触れましたが、僕の話が長かったことと、そのことで何をやっているかわからなくなってしまうといったことについて、こちらも気をつけるし、君たちも気をつけてやってねと触れた通り、「授業のやり方についてのコミュニケーション」が大事だと考えているので、しっかりやり取りをするようにしています。
でも、生物の勉強の中身についてのやり取りは一切していません。生物の勉強の中身は教科書に全部書いてありますから、さきほど言ったように、大事なことや要点を押さえていくことだけが教員の役割だと考えています。あともう一点は順序性です。やはり学ぶ順序は多少関係があるので、その構造だけははっきりさせるようにしています。
ですから、黒板には今までの授業の流れを毎回書いています。今日はそれを見て考えている子どもたちもいました。でも、それを使っても使わなくてもいいというスタンスです。
Q.授業に対する生徒からの評価
鍋田 前は授業に対する評価を聞いていたのですが、最近は聞かないようにしています。なぜなら、やはり僕は教員ですから、何が大事かというポリシーもあるし、それを彼らにきちんとやっていってほしいという願いもあるので、聞いたところで、こちらは変える気が結局はありません(笑)。
また、授業のやり方について、いいと思うか、悪いと思うかと聞いても、彼らとしては答えられません。小中学校でこういうことをやっている子どもは少ないので、未経験な子どもたちが多いのです。やはりそれはやってみないと評価できないことだと思うので、最近は聞いていません。
もちろん、何人かは「小学校の時、先生のような考え方でこういう授業をやっている先生がいました」という子どもたちもいます。ですが、その子どもたちにとっては、「あっ、あれね」という感じなので、全然気になっていないと思います。
Q.以前の集団授業と比較してAL型授業実施後の生徒の理解度
鍋田 理解度は上がっていると思います。それは間違いありません。前に東京でやっていた時も、学力評価テストがあり、結果が出ていました。
前にいた学校は、成績で輪切りになっている中で、中堅ゾーンでした。他の教科と比べても仕方ありませんが、その中堅ゾーンの中の平均点と比べると、ほかの教科は平均点か平均点以下でしたが、生物は平均点を超えていましたから、やはり理解はできるようになると思います。ただ、学力評価もいろいろな側面があるので、何とも言えないのかもしれませんが(笑)。
そもそも、授業を聞いただけで、自分で考えることができる子どもは、最初からかなりわかっています。なので、次に自分でいろいろ考えられることができます。しかし、大半の子どもたちは、聞いただけでは「えっ」となるのが先です。でも授業はどんどん進んでいってしまうので、当然「わかんない、とにかくついていかなきゃ」となってしまいます。
しかし、AL型授業は、間違いなく自分のペースでやっていけるので、それが一番いいところかと思っています。成績で輪切りになっている東京の学校でも理解度には差があるので、自分のペースでやれることは重要です。
あとは理解度と言うと少し語弊がありますが、例えば今日の単元について今日のあの時間にわかる子どもとわからない子どもとがいます。でもそのわからなかった子どもがずっとわからないかというとそうでもないし、逆にわかった子どもが次の時間に必ずわかる保証もありません。
ですから、とかく「頭がいい、この子はできる」などと単純化して評価しがちですが、実際はかなりいろいろです。また、コンディションもありますし、その日の調子もあります。
それを考えると、たとえ今日の18人のクラスでも、それら一人ひとりの状態を僕が全部計っていって授業をするというのは不可能です。ですから、普通に講義型の授業をやろうとしたら、当然こちらは一本調子でやっていくしかありません。対話型というやり方もあると思いますが、あれも結構いい加減だと僕は思っています。(笑)
一人ひとりのコンディションと理解度に応じて、そこまで掘り下げて授業を組めるのかというと、それはない、というか少なくとも僕はできません。そうなると、そこはやはり彼らに任せるしか方法がありません。
実際に、彼らは自分のペースで理解をして確認をしています。今回の授業は2時間ですが、早くわかる子どもは、多分1時間目で大体わかっていると、コメントを読めばわかります。けれどもその子どもたちが2時間目にやることは、この時間には人に説明をすることで自分の理解がもっと上がることです。
また、今日もコメントに書いている子どもがいましたが、「説明していったら自分が勘違いをしていることに気づけた」など、いい復習になっているはずです。
逆に、1時間目でわからなかった子どもは、この時間にいろいろな人から説明を聞いたり、自分から質問をしたり、やり取りをしてわかることで解決が図れます。
ただ、それに加えて試験の結果を出すためには復習をしないとだめだと思います。これで復習をきちんとして、自分の中で整理整頓をする時間がもう1コマ入れば、さらに定着度は高くなると思います。
Q.周囲の先生方からの評価
鍋田 基本的に「アクティブ・ラーニングは積極的に」と、うちでは校長先生も言っているし、僕はそのためにここへ来ました(笑)。アクティブ・ラーニングをやっているつもりはないとさきほど言いましたが、要するに僕の授業の考え方でも十分通用しますよねということで来ています。
先生方としても、もういずれにせよ切り替えなければいけない時代だから、ということで皆さんは、いろいろ試行錯誤はしています。はっきり言って、僕よりも、もっとディープ・アクティブ・ラーニングのような、生徒たちが深く思考する授業ができる人もいます。
また、生徒の力をうまくグルーピングし、それぞれの学力に応じて課題を設定し、やっている先生もいます。そしてその結果をきちんとチェックして、課題修正したり、グループ作りを修正したりという、もっときちんと手の込んだことを丁寧にやっている先生です。
本当は今日の撮影もそちらの先生たちのほうがよかったかもしれません(笑)。ただ僕は、やはりそれは「名人芸」だと思っていますので、「みんながやる」のを目指すとすると、このぐらいがちょうどいいのかなと思っています。だから別に余計な手を出さずにやっているのは、少しそういうところもあります。
比較的、皆さんがそのようにアクティブにやっている学校なので、よくある「ちゃんと座らせてといてください」などと他の先生から言われるというのはまずないし、むしろどんどんやってくださいという感じです。
以前に県から「生物関係でアクティブ・ラーニングの話をしてください」と言われて一回行っていますので、今は島根県自体もやろうとしています。そういう意味でも学校としてはどんどん推進しようという感じです。
ただ先生たちはみんな、やはり従来のイメージや考え方や自分の教材があるから、急に変えるのはやはり難しいのも事実です。今の時期は、あまり急がずに、みんなで見ながら話をしながらやっていけばいいのかなと思います。
Q.現時点での課題と展望
鍋田 僕は、いわゆる生徒に向けてやっている授業に関しては、これ以上手を加えていくという必要性は全然感じていません。どちらかと言うと、僕はしゃべる時はやはりしゃべりすぎていますので、そちらの方が課題かもしれません(笑)。
あとは、今日もそうですが、プリントに分かりにくいことを少し書いてしまっていました。ですから、もっとシンプルにしたほうがいいと思っています。自分なりに少し手の込んだことをしたことで、逆に生徒が疑問に思ってしまい、余計な時間を食わせてしまっているので、そういう部分をもっときれいに整えたいです。
内容はシンプルなほうがいいです。それがわかればいいという子どもたちはシンプルなことをきちんとわかりに行くし、もっと知りたい子どもは、今日もそうでしたが、勝手に自分で深めていっています。
授業の目標を超えてさらに自分で知りたい子どもは、周りの子どもとの兼ね合いの中で、自分でもっと深めていけばいいと思います。僕の場合はそれを一番邪魔しているのが、僕の説明やプリントなので、そこをもっと精選することはやっていきたいと思いますが、もうそれぐらいです。
本当のことを言うと、僕は地域の人に、授業に来て一緒にやってほしいです。前に東京にいた時もこのことは少し考えていました。そうは言っても一般の人たちは多分忙しいと思いますが、高齢者の方が多くなる地域ではできるのではないかと思っています。
この生物基礎の中身は、実は今の学習指導要領に変わる前は選択科目の中にしか入っていなかったので、多分全体の2割の人しか学習していません。もっと年齢的に高い人たちだと全くやっていないことばかりなのです。
ですからたまにお父さんやお母さんで、「僕、生物好きだったんですよ。メンデルの法則」などと言いながら来る人が、教科書を見ると「これ、何ですか?」という話になります。
逆に言うと、本当はそういう人たちにも一緒に学んでほしい、身につけてほしいと思っているリテラシー的な中身に今の生物科目はきちんと作り変えてもらっています。ですからできればその一般市民の人たちが高校生と一緒に勉強できるといいなと本当は思っています。
僕の場合は、レクチャーするわけではないので、来てもらって一緒に課題のプリントを見て、「これ、何とかだよね」と、いつもの授業の調子でやってもらえばいいのです。ただ決定的に違うのは、高校生は多分頭が柔らかいことです(笑)。
僕らと比べると高校生はいろいろなアイデアや気づきがありますが、大人の人たちは経験があります。経験に基づいて、「こういう時はこうだよ」、「こんなところでこれ使うよね」というようなことを話してもらうことは、高校生同士の話し合いでは多分出てきません。ですから、そういった授業の時に、経験値を持った大人の人、地域の方たちに来てもらえると、実は高校生の勉強もとても深まります。
また、この地域は比較的高校生と地域の方との距離を詰めていますが、例えば東京だと、高校は成績で分けられているので、どこか別の地域から来ることが多くなります。この地域のお爺ちゃんやお婆ちゃんが朝掃除をしているのに、ゴミを捨てていったりする高校生がいるわけです。そうすると地域の人も、「なんだ、あいつらは」ということになりがちですが、その爺ちゃんや婆ちゃんと高校生が同級生になったら面白いですよね。
「〇○ちゃん」や、「△△さん」などと言いながら、朝は挨拶をしていくということになります。本当は、地域とそこに集まってくる高校生との関係が同級生の感覚になってくると、もっとお互いがわかってくるし、距離も詰まります。そうすると地域との軋轢などの問題も、もう少し減るかなと思います(笑)。
そういう余計なことをたくさん考えています。今でもそれはどこかで実現できるといいなとずっと思っていますが、これは途方もなく時間がかかりそうです。
Q.再現性のポイント
鍋田 再現性がおそらく一番難しいです。この形の授業に限らないのですが、生物の研究会でいろいろ授業実践報告などをやる場合に、例えば僕は、前はパワーポイントを使ってやっていました。すると、ほかの先生で言ってくれた人がいて、「でも結局鍋田の作ったパワーポイントは鍋田じゃないと使えないんだ」とのことでした。だからこの授業をかたちだけ真似ると多分すぐ吹っ飛ぶと思います。
僕は、結構いろいろなことは言っているのです。いろいろな話をしていて、一番はじめの授業でも話はしているし、また様々な場面でいろいろなことが起こった時にやはりいろいろなメッセージを発しています。
僕自身に対する注文が来た時も、さきほど言った通り発しているし、そうやって彼らと作っていく授業なのです。ですから、やはりそれぞれの先生が自分の眼の前の生徒とどうやって授業を作るのかというスタンスが大事であって、方法は自分で見つけなければだめなのではないかと思います。
だから、西川先生の『学び合い』の本もそうですが、こうするとうまくいくというのがよくありますが、あれは1回や2回はうまくいくと思うのです。
ただ長く続けていく時に途中できっといろいろなことが起こって、そのことについての対応の仕方まではそんなにマニュアル的に細かくは書けません。なぜなら人によって違うし、何が起こるかまではわからないからです。
例えばその生徒に対してこうするといいですよと書いてあるからそうしたとしても、また次の反応が出るでしょう。すると、それにもまた反応しなければいけないのですが、その2段階、3段階までマニュアルは作れているかというと、そんなのはまず無理です。
ということになってくると、最終的には自分がどう考えているかというのがすべてです。だから、最初は人の物まねでもいいのかもしれませんが、やりながら自分はどうしたいのかということをとにかく考えていかなければなりません。僕らのやっている授業は最低1年間単位なので、1年間は継続しなければいけないのです。
うまくいかないからと途中で変えてしまえば、「では自分たちが今までやってきたことは何なんだ」と、彼らも思うだろうし、少なくとも1年間はきちんと継続できることが必要だと僕は思っています。
教科によっては、数学だと2年、英語は3年などと、持ち上がりで結構やっていく先生もいるし、小中学校はまたもっと違った受け持ち方をします。その自分と彼らとの付き合うスパンによって、どのように自分が考えてやっていけばいいのかというのは、やはり一人ひとりの先生が、自分のキャラクターを含めて考えないと難しいかもしれません。
僕などは、もう年齢差が明らかに親子を少し超えていますから(笑)、僕がいくら若い先生たちのように振舞っても、おっさんとしか見られません。僕の年で、まして本当に高校生年代の子どもを持っている自分が、息子や娘と同じぐらいの年齢の彼らと、1年間一緒にいろいろなことをやっていく上でどうすればいいのかというのはずっと考えています。だから考え続けることです。
こうしておけばいいというのは多分ありません。今日もずっと授業を見ていて、「ああ、あの子はずっと止まっているな」と思って見ていた子どもがいました。明らかに目線がどこかに飛んでいますから、「困っているのだろうな、でもどうするのかな」と思って見ていると、今日は隣の子がきちんと最後は付き合ってくれていました。
でも、それでも分からなかったということで、最後に前に来て私に質問してきたから説明しましたが、その説明が速すぎたようで「先生の説明が速すぎた」とコメントに書いていました(笑)。でも、これに対して次回どうするかということを考えています。
ですからこれは、1年間付き合わないと絶対わからないのです。この前も福島に行ってきましたが、よくいろいろなところに行ってこういう話をして、「どうすればいいですか」と聞かれるから、「まあ1年間やってみることですね」と言ってきました(笑)。
ですから本当は一番いいのは、同僚の先生たちはずっと一緒にいるし、生徒たちのことも同じように知っているので、その人たちと一緒に1年間ずっと追いかけていくことです。そうすると、「ああ、こういうふうにこの子は取り組み方が変わった」、「こういうところに気づけるようになった」などというのがあります。
それが僕らにとっては、「ああ、成果だな」と受け止められますが、だからこそ難しいです。1年間付き合ってくれるかどうかです。
※鍋田先生の生物基礎の授業は、学校導入版で視聴できます
学校導入版の詳細はこちらをご覧ください...
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