概要
ミッションは「バズれ!」
Webライターになりきり25文字の記事タイトルを考える。
元NHKキャスター教師の国語授業
伝える仕事をずっとしてきたのに、目の前の30人に伝わらない・・・。
沖田さやか先生は、前職はテレビ局で、記者とディレクター、キャスターをしてきました。
いわば、伝えるプロだったわけです。
しかし、教壇に立ってみると、思うように伝えられていないと感じたそうです。
ずっと伝える仕事をしてきたのに、目の前の30人に伝わらない。
自分の話し方が悪いんだろうか。
今までやってきたことは何だったんだろう。
そんな風に自信を失いかけたこともあったそうです。
しかし、生徒に楽しんで学んでほしかったら、 まず自分が楽しい授業をしよう、と意識をするようになって、授業のあり方を変えました。
国語の先生はこうあるべき、教科書はこう進めるべき、という固定概念を取り払い、前職の経験を生かして、記者になりきってみる、ライターになりきってみる、という授業を提案したとき、止まっていた生徒たちが動きだしました。
受け身に馴れ、自分の考えを話したり表現することが苦手だった生徒たちが、回を追うごとにグループディスカッションができるようになり、話すことが好きになってきているそうです。
まずアウトプットの楽しさを生徒たちに体感してもらい、アウトプットするためにはインプットが必要だと、気づかせる。
それが授業の大切なところなんじゃないかと沖田先生は言います。
Webライターになり切った生徒たちの言葉のセンスに驚かされる授業動画をぜひご覧ください。
Q.国語を学ぶ意味は?
沖田さやか先生(以下、沖田) 国語の基本は、読む、聞く、書く、話すだと思いますが、それらを「手段」として認識して欲しいです。それを目的とするのではなく、それをツールとして社会に出て活用して欲しいと思っています。
だから、そのために読む、書く、聞く、話すという武器を手に入れて、課題に立ち向かった時に、どのように論理的に解決するかとか、例えば、コミュニケーションがちゃんと取れない人と会ってしまった時に、「どのような話し方をしたら、この人の心を溶かすことが出来るのか」といったことに使って欲しいなと思っています。
Q.国語を学ぶ醍醐味は?
沖田 国語は、「数学と違って答えがない」とよく言われがちですが、実は「答えがない」ということはなく、論理的に、「答えがいくつかある」のだと思っています。
その「いくつか」は、それぞれにとっての答えでいいのですが、その答えを人に納得してもらうために、論理的に答えを伝える。それが私にとって「国語の答え」です。答えがいくつもあっても良いけれど、その論理は正しくなければいけないと思っています。
今は、羅生門の授業をしているのですが、羅生門に「きりぎりす」が出てくるんですね。きりぎりすは、羅生門の赤色の柱にとまるのですが、昔、「きりぎりす」という漢字は「こおろぎ」とも読みました。
で、この場面ではきりぎりすなのかこおろぎなのかという判断を生徒に委ねた時に、「羅生門の赤い柱には、黄緑色のきりぎりすのほうが映える」という理由を答えてくれた子がいたんです。
私の中で、「ああ、とても良い答えだから、正解だ」と思いました。そのような答えを人に説明できる論理的思考というのが、国語の面白さかなと思っています。そのような答えが出てくるときは、面白いです。
Q.今日の授業で最も生徒たちに学び取って欲しかったことは?
沖田 今日の授業で学び取ってもらいたかったのは、決められた条件の中で、どのように言葉を紡ぐかという点です。しかも効果的に。それが社会の動きに繋がるということを実感してほしいと思っていました。
まだ1年生で、しかも国語が苦手な子が結構います。どういった点が苦手かというと、ボキャブラリーがとても少ないんですね。ボキャブラリーが少ないと、限られた文字数で、良いタイトルを考えなさいと言われても、難しいのだと思います。
でも、原稿やウェブの記事を読みながら、「あ、この言葉が使える」「この言葉も良い言葉だ」という気付きがあって、「じゃあ、この言葉を組み合わせてみよう」と考えてくれた子が多かったと思いますが、このようなやり方をすることで、ボキャブラリーが少ない子たちも、新しい語彙がスーッと入っていったのではと思っています。
Q.生徒たちを学びに惹きつけるための創意工夫は?
沖田 例えば、「この長文を読んで、次の問いに答えなさい」と言うと、生徒は急に後ろ向きになってしまいますが、そうではなくて、「今日はこういうミッションだよ」と言ったり、「今日はライターになろう」といった感じで言うことを、いつも意識しています。
そうすると「ん?」と身を乗り出してくれるんですね。ミッションという言い方をしたり、何かの役になりきらせたりすると、生徒達はやる気に満ちあふれてくる。
そういったやり方を、私の中では「限定」とか「条件」をつけると考えていますが、日本人は条件が好きみたいで、「やってやろう」という挑戦にも似たモチベーションっていうのが湧いてくるようです。それはいつも気をつけてます。
今日の25文字も「条件」だと思いますが、若い子たちツイッターが好きなんですね。日本人が一番ツイッターの発信率が高いと聞いていますが、それも実は短歌と俳句と一緒で、限られた文字数の中で考えるということが面白いようです。このように、わざわざ壁を作ったり、条件や限界を作って、その中で考えさせるということは、意識してやっています。
Q.今の授業に至るまでにどのような試行錯誤をされましたか?
沖田 やはりセンター試験の過去問や入試問題や問題集の問題を解こうと言うと、みんなシーンとなってしまいます。なので、興味を持ってもらえるような授業をしようとしても、やはりシーンとなってしまう。
このように、生徒のノリがあまり良くないのは、どういうときかなと考えると、「私自身しかしゃべってない時」かと思いました。私しかしゃべっていなくて、生徒の学びが「聞くしかない」時は、授業が固まるという感覚に陥いります。
それを解決した手段は、ゴールを変えたことですね。ゴールが「設問に答えろ」だと生徒は固まるので、そうではなく、例えば、高校生や若者の学びについての題材だったとすると、問題集の長文を読んだ後に、グループディスカッションしようかと言ったら、急に読む姿勢が変わったりしました。
ああ、主体性ってとても大切なんだなと気付きましたね。
Q.それに気付いたタイミングは?
沖田 私はまだ若輩者で、教員になってから2年も経っていないのですが、1年目の冬ぐらいだったと思います。
Q.その期間で何を学ばれましたか?
沖田 伝えるということは難しいなと思いました。これまで8年間も伝える仕事をしていたはずなのに、目の前にいる30人ほどの人数に対して伝えられないんだと思いました。
自分の話し方が悪いのかとか、今まで私がやってきたことって何だったのかなとか、色んなことを考え本当に自信を喪失しかけていました。
でも、やはり自分向きにベクトルが向いていたので、「人の立場に立って考えていなかったから」「生徒が動くようにすればいいんだ」と気付き、それからは気が楽になりました。
Q.それに気付いたきっかけは?
沖田 自分が楽しい授業をしようと意識をして、教科書や問題集に固執していたり、「こうしなきゃいけない」と思っていたり、国語の先生はこうあるべきだと思っていたのですが、そういったものを取り払って、前やっていた仕事をここで活かそうと思うようになりました。
例えば「マスコミの仕事ってこういうものだから、生徒たちにライターや記者になりきってもらったら、どうだろう?」と、自分にしかできない提案をしてみると、すごく生徒たちが動き出しました。たぶん自分も楽しかったからだと思いますが、生の声も伝えられるし、実感も言えるし、急にリアルなものになったという状況だったのだと思います。
Q.前職は何をされていましたか?
沖田 8年間は、テレビ局の記者とディレクターと、それからアナウンサー、キャスターをしていました。一時期、警察担当の記者だったこともあり、事件や事故、火事の取材をして、どうしたら「安全とは」ということを人に伝えられるかとか、社会とはどういうことだろうかということ向き合って考えていた時期もあります。
ディレクターとして、どういう編集をしたら人に伝わるかとか、カメラの動かし方はどうだろうかとか、創造するとはどういうことだろうか、伝えるとはどういうことだろうか、ということと向き合った時期もあります。
さらに、一方で、出来たものに音を乗せて、自分の声で発信するアナウンサーとして、どういう間が必要で、どういう発音で、どういう発声の仕方をしたら、効果的に人に伝わるのだろうか、ということと向き合っていた時期もあります。
Q.より良いアクティブ・ラーニングの実現に向けて先生が普段からされている努力は?
沖田 努力といえるかは分かりませんが、「自分が学ぶ機会を増やす」ことでしょうか。刺激をもらい続けている状況を作っておくことを大切にしてます。
例えば、自分がワークショップに参加するとか、社会的活動をしているNPOの活動に参加してみるとか、視野を広げて、刺激を与えられる環境に身を置くようにしています。
ワークショップは、今日みたいなウェブライターになろうというワークショップに参加したこともありました。
今日の授業も、そこからヒントを得たのですが、様々な団体の人たちを実際に呼んで、その人に取材をして、取材した内容をツイッターの文字数140文字にまとめるというワークショップでした。
その時に、「あ、限定された中で考えるのって面白いな」と思ったり、「しかも、これってまさに国語だな」と気付きを得たりしました。
Q.生徒との関係づくりに関して
沖田 「一人ひとりの様子に気付く」ということに気を配るようにしています。例えば、自分の発言でどういう表情をして、どういう頷き方をするのかなという点も見ていますし、朝、教室に入って、どんな顔をしているかなという部分も見ています。
それは、昔インタビューをしていた時の気付きが元になっています。インタビューって「呼吸」ですよね。「この人、今これが話したいんだな」とか「もうちょっと話したそうだな」とか「この質問はもうやめておこう」とか「ちょっと間を取って質問したら言ってくれそう」とか。
そういった「呼吸を掴む仕事」を当時はしていたと思いますが、今、学校でも、その「呼吸を掴む」ということは意識しています。
Q.アクティブ・ラーニングをする上で欠かせない準備は?
沖田 生徒が主体だということが大前提ですが、ルール作りをしっかりしていないと、その前提は壊れてしまうので、ルールや基盤っていうのはしっかり作るということを意識しています。
その上で、どこを生徒に発言させて、どこを考えさせてという点を、しっかり組んでおくと上手くいくような気がします。「なんとなく発言させる機会を増やす」とか「なんとなく主体的に」とやってしまうと、カオス状態になってしまいます。
ですので、ルール作りが大切。ルールや決まり、基盤というのを大切に作るようにはしています。
Q.今日の授業で明確にしたルールは?
沖田 今日の授業では、まず「目的」を明確にしました。「バズれ」という言葉を使いましたが、それは広告になり得るのかとか、どうしたら人はクリックしてくれるのか、という「目的」をまずしっかりさせたということです。
また、シールの色を2色に分けたという点は、明確なルールだったと思います。
Q.生徒たちの学びの姿のうち「最も意味のある変化」は?
沖田 なぜか知りませんが、生徒達は、書くとか話すとかアウトプットすることを嫌うんですよ。聞くとか黒板を見て書くといった受け身のことは何の苦もないようですが、「自分で話して」とか「自分の考えを書いて」と言うと急に縮こまるんですよ。すごい不思議なんですが。
でも、実はアウトプットが一番楽しい、ということに気付いてほしいと思っています。
もちろん、アウトプットするためにはインプットが必要だと思いますが、アウトプットの楽しさに気付かせるのが、授業の大切なところだと思っています。
アクティブ・ラーニングを取り入れた後は、「聞くこと」ももちろんするのですが、話したり書いたりすることがだんだん楽しそうになっていくという点が、最も意味のある変化だと思います。
グループディスカッションもよくやりますが、最初は「自分の考えとかないし」と言って黙ってしまう女子や、別の雑談を始める男子がいましたが、「一つの課題をみんなで話し合って、一つの答えを出すってすごい楽しいよね」ということに気付いてからは、とても積極的に参加するようになり、話すことが好きになってきたと言ってくれるのは、とても大きな喜びです。
Q.生徒に今後求めることは?
沖田 授業中にちゃんとするとか、入試に合格するとか、成績をゴールにしてほしくはありません。そういたことを手段にして、社会に飛び出てどう生きていくの?より良く生きるためにはどうすればいいの?っていう問いかけを意識的にしていきたいと思っています。
そうした国語授業で身につけた力を、社会に出て、課題解決やコミュニケーション、自己表現などに活かしてほしいなと思っています。
Q.アクティブ・ラーニングを通じて生徒たちに教えられたことは?
沖田 やはり発想力は敵わないなと思います。よく思いつくなという意見やアイディアがたびたび出てきて、先入観だらけの大人の堅い頭では思いつかないわという答えに巡り会えた時は、学びだなぁと思います。
今日の授業でも、結構ありましたよ。「オレンジのつなぎ」というのを、ピックアップするのにまずびっくりしましたし、雑多な情報の中の一つとして、普通はスルーしてしまいがちな情報を、
わざわざタイトルに使う言葉として抜き出したことにびっくりしました。
「オレンジのつなぎが未来を繋ぐ」という、シャレのような語呂合わせのようなのにしたのも感動しました。「へえ、そういう考えがあるんだ」と思って。
Q.「基礎学力が高くなければアクティブ・ラーニングはできない」という意見をどうお考えでしょうか?
沖田 「出来ないことはない」と思います。出来ないことはないと思いますが、その学びの中に、もちろん基礎学力はつけていかなければいけないという考えもあります。なので、段階を踏めば、大丈夫だろうと思います。
竹馬のように、基礎学力、アクティブ・ラーニング、基礎学力、アクティブ・ラーニング、別の言い方をすればインプット、アウトプット、インプット、アウトプットといった感じで、両方の車輪が動くことで効果的な学びは生まれる、という考え方も良いのではないかと思います。
Q.「教科書をこなすので精一杯でアクティブ・ラーニングをやる余裕がない」という意見をどうお考えでしょうか?
沖田 私自身、そういう考えに固執していた時に、うまくいかなかったことがありました。結論として、教科書の内容をアクティブ・ラーニングで教えられるのが理想だと思っています。
例えば、「水の東西」という基本中の基本の評論がありますが、普通に授業をしようとしたら、小難しいというか、堅い評論の授業になってしまいがちです。でも、この授業もアクティブ・ラーニングでやってみました。そうしたら、もうとても面白かったです。
キーワードを抜き出して、文章マップというものを作らせる授業にしました。キーワードを抜き出すところから生徒にやらせて、付箋にそれを全部書かせ、それを白い大きな紙に「対比の構造」「イコールの構造」「仲間の構造」という文章マップを書かせて、投票もさせました。とても面白かったです。
Q.「要領の良い生徒が主導権を握り、他の生徒の学びが深まらない」という意見をどうお考えでしょうか?
沖田 一人ひとりの気付きを、本当に注意深く気付いてあげられるようにはしています。発言する生徒って、やはり発想力というか瞬発力があるんですよ。パッと答えを出すのが速い。
もちろん、その子も良い答えを出してくれるので聞きますし、黙っていたとしても、ちょっとうずうずしてる生徒には、名前を呼んで声をかけるようにしてます。「いま○○ちゃん、何か思いついたよね」と聞くと言ってくれたりするので、そういったところを見逃さないようにしています。
また、グループやペアにすると、やはり責任感が生まれて「この中で頑張らなきゃいけない」と思い始める効果があると思っています。今日もペアを作りましたが、ペアにするとサボる子は絶対にいません、
グループを作らせても、グループの中で自然と役割が出来るんですよ。ああ、じゃあ書記するわとか、タイムキーパーするわとかいうように自分の役割とか責任を与えると、消極的になっている暇はないというか、その役割を果たすことに忙しくなるので、発言しない消極的な子は、徐々に減っていきます。
要領の良い子は、要領が良いなりに、他の人たちをちゃんと見るようになります。先生を見るのではなくて。目線が変わります。自分が意見を言うというよりは、他の人たちを気にして、「あ、俺こう思ったけど、そういう考えもあるんだ」と、ファシリテーター役になってくれたりもします。だから、どんどん授業が楽になります。
Q.「アクティブ・ラーニングで入試に対応できるのか?」という意見をどうお考えでしょうか?
沖田 根本のところで、私の授業がまだ下手だということもあるのですが、私が黒板に書いて、私が一方的に話す授業だったら、生徒達は本当にあまり主体的になれないようです。
ただ問題集の問題や教科書の長文を読んで、設問に答える。センター試験の過去問を解いて答えるっていうのも、主体的にならないと、本当に意味がないと思います。ただ時間が過ぎるのを待っていたり、受動的に他の人の答えを自分の答えに記録するだけ、では意味がないんですよ。
自分の脳をいかに動かしてもらうか、ということを私は考えていて、その脳が動けば動くほど、入試の問題にも対応できる思考力がだんだん身についてくると思っています。
Q.もっとこんな挑戦をしていきたいという野望はありますか?
沖田 今は試験的に、これでいいのかな?というまだ正解が分からない段階でやっているので、これをきっちりとシステムを作って、国語の授業という常識をガラッと変えられると良いと思っています。
教員は一言もしゃべらないような授業が理想なので、例えば、生徒主体で、どんどん転がっていくような国語の授業。それでいて思考力とか論理力がつく授業を目指したいなと思っています。
Q.アクティブ・ラーニングを始めようとしている先生に一言
沖田 私もまだ1、2年で、アクティブ・ラーニングがなんぞやとか、正しい授業の形とか、国語とはなんぞやというところには、全然たどり着けておらず、本当に1歩目を踏み出した程度ですが、大切にしてるのは、やはり生徒にいかに楽しい思ってもらうかという点と、自分自身が楽しいと思えるかという点です。
私は、すごいわがままなので、自分が楽しくないと生徒も絶対楽しくないだろうと思っていますし、私自身が楽しくないと授業も動かないだろうなと思っているのでs、それを意識するようにしています。...
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