概要
福岡市最西端にある小呂島は、人口約200人の漁業が盛んな小さな島です。
この島にある小呂小中学校は、全校生徒13名。
一番人数が多い小学2年生の、5人のクラスを取材いたしました。
担任の伊東先生は、10年ほど前に授業に対する考え方が大きく変わったそうです。
当時、離島の学校から博多の学校へ転任した伊東先生は、それまでの自分のやり方が通用しなくなってきていることを感じ、授業のあり方に悩むようになったそうです。
そんなときに出会った『学び合い』という考え方。解説書を読み勉強をしながら実践をするうちに、子どもたちの様子がどんどん変わっていきました。
子どもたちが優しくなり、いじめが無くなりました。
そして、子どもたちの人間関係が良くなると、保護者からのクレームも無くなっていったそうです。
今のクラスの5人という人数は、『学び合い』が成立する最小限界値だろう、と伊東先生はおっしゃいます。
インタビューでは、伊東先生が授業で大切にしていること、同僚の先生方から理解を得られなかった頃の様子、最も印象深かった子どもたちのエピソードなど、たっぷりお伺いしています。どうぞ最後までご覧ください。
※機材トラブルのため一部音声に乱れがあります。
Q.教職に就かれて何年目になりますか?
伊東 宗宏先生(以下、伊東) 31~32年目ぐらいです。54歳になります。
Q.『学び合い』を始めたきっかけは?
伊東 10~11年前に玄界島で6年間、1~6年生までの子どもを見ていました。その後博多に帰ってきた時に、どうも子どもの様子が違うことに気づきました。そこで、「あれ?これ、ダメなんじゃないか。今までやっていた方法では、子どもを惹きつけられないのかな」という悩みが出てきたのです。
それまでは、勢いと自分の持っているカリスマ性とお笑いトークでうまくやってきていました。ですが、大人数を相手にしない間に腕が錆びたのか、年齢が上がって切れ味が落ちたのかは分かりませんが、前のような反応が返ってこなくなりました。それにある種の恐怖を覚え、色々な研修会に行き始めたのです。
赤坂先生のクラス会議でお話を聞き、「あ、これはいけるかな」と思って実践するなど色々なことをやっていた中で、ある先生が、子どもたちが教え合う授業として『学び合い』のことをおっしゃっていました。
実は、僕が採用された頃に見たベテランの先生の授業で『学び合い』のことは知っていましたが、当時の僕はそれを見て「なんだ、子どもを使って。自分の力量で教えられないのか」というようなことを思っていたのです。
しかし、どうもその先生のクラスは良いクラスで、「もしかしたら、これが自分自身を救える道なのではないか」と思い、始めたのがきっかけです。
Q.『学び合い』を始めたのはいつですか?
伊東 今から10年くらい前のことで、実は当時、仕事を辞めようと考え、本当に死のうと思っていたほど辛かった時期がありました。
例えば、島の生活の雰囲気のまま、保護者に携帯電話の番号を教えたことがありました。すると、夜の10時ぐらいまで「どうして、そうなってるんだ」「うちの子がどうして選ばれないんだ」といったクレームの電話がかかってくるようになったのです。
その時、「これはちょっと、もう死にたいな」と思ったこともあったのですが、それをきっかけに2つのことを始めました。
1つが『学び合い』で、もう1つがサーフィンです。サーフィンで波にもまれて、本当に死にそうになっても「まだ生きてるぞ」と思うことがあり、それこそ「何でもやってやれ」と思って出会ったものが『学び合い』でした。
その頃は『学び合い』について書かれた本がなく、西川先生が書かれた『学び合い』の取扱い説明書のようなものがネットにあったくらいです。ですので、周りに相談できる人も誰もいなかったのですが、それを読んで一人ぼっちで一生懸命勉強しました。
そうすると、今まであった「どうして我が子のことをちゃんと聞いてくれないんだ」というクレームは、結局子ども同士の人間関係によって生まれた問題だということに気づくようになったのです。
それまではどうすれば抑えられるかということばかり考えていたのですが、実は子ども同士が優しくなり、お互いの人間関係が良くなれば、自然とそうした問題は起きなくなります。その上で学力がしっかりとつくことで、保護者からのクレームは来なくなり、もちろん名前など挙げない形で、このような子どもたちの日々の変化をブログに書いていたのです。
するとある日、「頑張ってるね。Jun Nishikawa」とブログのコメント欄にあるのを見つけました。「この人は、もしかして西川純先生かな?」と思い、それからずっと十数年ほど応援していただいています。
また、前の学校では色々なドラマがありました。今、うちの学校でやっている『学び合い』は、本当に初期段階の入門編ぐらいです。ただ、それを超えたところにあるものは、もう鳥肌が立つようなドラマが毎日山ほど起きて、それを一度体験すると、もう元には戻れないと思います。
Q.『学び合い』を始めてみて、どうですか?
伊東 『学び合い』の考え方の一つとして、「誰一人見捨てない」という言葉がありますが、この言葉には棘があり、なかなか先生たちが使えない言葉です。「誰一人見捨てない」ということは、見捨てることもあるのか?という話にもなってきます。ですから、多くの実践者は最初、「誰一人置いていかない」という柔らかい言葉を使います。
「誰一人見捨てない」という言葉の真意を掴むことが、最初のうちは非常に苦しかった記憶があります。「本当に見捨てないことができるんだろうか?」「こんなに勉強が分からない子がいるのに、子どもたちの力だけで本当に乗り越えられるんだろうか?」などと考えていました。
『学び合い』の考え方自体に対して、僕の中にそうした不信感があったのです。しかし、藁にもすがる思いで始めたので、真意は違うものの、「誰一人見捨てるんじゃないよ」「そんなクラス作ろうや」と言っていました。
最初は疑いを持ちながらでしたが、子どもたちがある程度変わっていき、その姿を見て、「これは本物だ。もしかしたら、ものすごいところに立っているのかもしれない」と思うようになり、身震いしたことを覚えています。その時に、ものすごいことにチャレンジし始めていることに気がつきました。
そうして、本当に信じて、本気で語ったところ、高学年の変わりようと言ったらものすごいものがありました。それこそ最初は、「普通の授業よりきつい」というような子どもたちが「もう、それじゃないとできない」と言ってくれるような変化でした。
初期の頃で一番記憶にある出来事があります。勉強はできるけれども友だちが少なく、眼鏡をかけて痩せていた男の子がいじめられていました。悪い連中3人ぐらいが彼の眼鏡を取って、「秀才くんでーす」と言って馬鹿にするようなことが日々あり、僕がパッと見るとその時はやめますが、僕が見ていないところではそういう状態が続いていました。
それが『学び合い』を始めた頃に、あまり人と関われなかったその子が友だちに教え始め、「何々くん、教えて」と言われるようになり、段々とみんなへの信頼を広げていきました。すると、今まで彼をいじめていた悪そうな連中3人のうちの1人が、「俺にも教えて」と言ったのを見て、「ああ、すごいなあ」と思いました。
それを見て、そのいじめていた側の子も、「いじめないと馬鹿にされるかもしれない」というクラスの人間関係の中で生きてきたのだろうと思いました。そして、それをいじめられた側の子が救ってあげている姿を見た時に、「ああ、やはりこれはすごいことだな」と思ったのです。
すると、その3人のうちの1人が勉強できるようになり、今度は彼がその残りの2人のうちの1人に教え出しました。そうして3人のうちの2人が分かるようになると、最後まで突っ張っていた1人も、「俺にも教えろ」と言いながら、威張って教えてもらっていたのです。その様子を他のいじめられていた女の子たちも、ちらちらと見ていました。
そうしてみんなが学びに向かう力を持った瞬間に、クラスがふわ~っと柔らかくなるのが見えたのです。「ああ、誰一人見捨てないってこういうことなのかな」と思いました。
その時、勉強が分からない子やいじめられている子を見捨てないということではなく、いじめている子も、何でもない普通の子も見捨てないということなのだと感じました。そして、「これは、僕の一生かけてやる仕事だな」と思ったのです。
Q.それは『学び合い』何年目のこと?
伊東 その出来事は2年目ですね。ブログを見つけていただいて、半年ぐらいだと思います。1年目は、講義型と『学び合い』は半々ぐらいでした。定期的に図工や音楽の時だけ支援学級の子が入ってきていたのですが、その子たちに優しくなったところを見て、1年目には「ああ、すごいな」と子どもたちの変化に気づいていました。
Q.『学び合い』に同僚の理解はありましたか?
伊東 なかったです。「あれは授業じゃない」「あなたのところ、学級崩壊してるんじゃないの?」などと言われていました。僕の中では「いやあ、一番うまくいっているのにな」と思っていましたが、それはもう本当に酷かったです。
今日も板書をしていますが、実はあれ自体、本当は要りません。ですが、板書をすることで安心してもらえるので、始めたようなものです。学校で決められている目当てや問題など、それぞれのスタイルをしっかりと守ることでロスする時間は2~3分ありますが、その程度の時間は子どもたちの力ですぐに取り返せますから、やるようにしました。
色々な先生が教室を回ってきた時に『学び合い』を注意されるので、次からは見張りを立てるようなこともしていました。「何々先生がまわってきたぞ!」と分かれば、みんなサーッと座り、「先生、行ったよ」と分かれば、またみんながワーッと広がるような時期もありましたね。懐かしいです。
またある時には、勉強が全く分からない女の子の1人が、卒業間近に中学校で『学び合い』ができなくなることに気がついたのです。
「私たち、今は『学び合い』できてるけど、中学校になったらできなくなるよね」と言い出したので、「じゃあ中学校の先生を呼んで、こんな勉強の仕方があるんです」と伝える会を開くことになりました。
そして、その会を開くために僕がビデオを撮って回ったりしていました。全く目立たない元ヤンキーの女の子が、「『学び合い』をさせてください。私がこれできなくなったら、また置いていかれるので悲しいです」というようなことを言うのです。
それを見た時に、僕としても広めてやらなければいけないといいますか、僕だけが幸せになるのではなく、この子たちが中学生になっても『学び合い』ができるようにしたいと思いました。
普通の授業では自分は置いていかれると気づいているけれども、自分からはなかなか言わない子たちがいっぱいいるだろうと思ったら、やはり広めないといけないと思い、頑張っていました。
しかし、なかなか広まらずに今日に至っていますが、最近、福岡市のある中学校で爆発的な成果をあげている学校があります。そこが中心となった学習会も始まりましたので、これから非常にアクティブ・ラーニングの時代が始まるだろうと思っています。
Q.今のクラスは『学び合い』のどの段階にいる?
伊東 段階はよく分からないですが、強烈に一体感のあるクラスからいくと、まだ入門編から毛が生えたぐらいだと思っています。
ですが、今日も授業に入る前に誰かがポロッと言ったことを拾って、サッとみんなが取りに行くようなことがありました。そのようなことが授業中に勉強のことでも同じように回っているということは、そのレベルまでは行っていると思います。
Q.今のクラスは最初どんなクラスでしたか?
伊東 去年は1年生の国語を担当しました。低学年をなかなか持たせてもらえなかったので、そういう経験も初めてでした。さらに、『学び合い』は40人いて成立するというところがあるので、5人という人数は僕にとってものすごくチャレンジでした。
『学び合い』が成立する5人という限界値にチャレンジできることで、これが成立すれば、色々な僻地でも同じようにそこの先生がやってくれそうな気がして、5人という目標を立ててやっています。なかなか国語の中で、最初は同じように教えなかったり、隠したりなど、最初は聞くことができず、「分からない」とは言えません。それはプライドがあるからです。
良い会社なら、機材の使い方が分からなければ、「お前、何か困ってるのか?それはこうするんだよ」というような声かけがあります。または、「いや、監督、これはこんなふうにしたほうがもっと良い音が録れるんですよ」というようなコミュニケーションがあると思います。
ですが、それぞれのプロ意識が高すぎて、「自分の仕事は人に渡さない」と思っていたら、きっと聞かないのではないでしょうか。それが去年、僕らのクラスの中で起きていたのです。
最初は聞きませんが、そこで「聞きなさい」という言い方をすると、それは結局、「先生に言われたから聞く」という循環が始まります。その結果、人に褒められたり、怒られたりすることで、コントロールされて動く人間ができてしまうのです。
ですので、僕は「損するよ」「人に聞いたら、教えてくれるんじゃない?」「親切な人、けっこういるよ」とみんなに言い続けました。そうしてある時に、一人の子が立って「教えて」と言った瞬間に、クラスがゴロッと変わっていったというようなことがあります。
その子は元々虚勢を張っていた子でしたが、それ以降、急にものすごく優しくなり、生活の場面で色々な子を助けたり、困っている子を見つけたら助けに行ったりする子に変わっていきました。そのようなレベルの授業ができ、学習が成立するというところが、大体うまくいく段階かと思います。
Q.『学び合い』の最小限界値は?
伊東 3人だと仲間外れは作れるけれども、協働する時にこの組以外に選択肢がないので、リスクがありません。
ところが5人になると、誰か1人に問題が起きて、全体に「困っている人がいるよ」と伝わった時に、ある子ども同士の仲が非常に悪いと、絶対教えに行かないことがあります。そこで別の子が教えに行った時に、「ああ、助かった。友だちのことを思ってくれる人がいて」ということをみんなに語りかけます。
そうすると、例えば、その教えに行かなかった子がどれだけ優秀でも、いつか困りごとがあった時に、その子が助けてもらう経験をするためにはどうしたらいいかを考えます。そのためには、多様性の最小限界値が5ではないかと感じましたので、5人で実践しています。
ただ、同じ5でも自然発生の5ではなく、先生が決めた5ではダメです。35人学級で5人の班を7つ作ったら『学び合い』が成立するかと言えば、しません。それは監督者である先生が作ったチームですので、何か問題が発生した場合に「チームを作った先生のせいだ」という逃げ道になってしまうからです。
そうなると、ここでは5人が限界値で、究極を言えばその5人で「この未来の島を作っていかなければいけないよね?」と言えるので、自分らの未来と繋がっているという感覚があることで成立しているのだと思います。
Q.『学び合い』の最多限界値は?
伊東 大体レギュラーでやる場合は、40人でもOKです。例えば、興味を持った隣の先生が「うちの学級もやりたいんだけど」と言って最初にするのは合同の『学び合い』ですね。その時は80人ぐらいになります。
「クラスを行ったり来たりしていいんだよ」と言って、「分からない人は誰でも、みんなが達成するための行動をみんなでやりなさい」と投げかけてから行います。そうすれば、我がクラスの子どもたちは隣のクラスの誰が勉強できないかを、以前同じクラスになった時などにしっかり把握していますので、みんなが達成するための行動をとることができます。
そうやって教えられた子たちが先にゴールしてしまう現実を色々な子が見れば、「これは聞きに行かなければ損だ」ということに気づき、『学び合い』の文化が一気に広がっていくのです。そう考えると、80人ぐらいであれば簡単にできます。
場所さえあれば、おそらく僕の力量で120人ぐらいまでは1人で大丈夫だと思います。それ以上はチャレンジしたことがないので分かりません。
Q.『学び合い』で大切なことは何ですか?
伊東 結局、子どもの活動時間をいかに増やすかが勝負どころです。『学び合い』は、「自分たちでできたから価値がある」ということの繰り返しなのです。おそらく子どもたちは、「伊東先生だからできた」ではなく、「僕たち自身で教え合ったからできたんだ」と言ったのではないかと思います。
ということは、僕が彼らにしてあげられることは、子どもたちが活動する時間を増やすためにワークシートを作り、問題や式を写す時間を減らして、できるだけ子ども同士が説明し合う時間を作ることです。
そうすると、今日のように何度もエラーがあります。しかし、間違いがいくつも点在していても、いつの間にかそれに気づいた子ども同士がぶつかり合い、教え合いながらクリアしていくようになります。その過程で感じることが非常に重要なのです。
そして、ある時に「あ、分かった」という顔をしますよね。あの顔は、先生が「分かりましたか?」と聞いて「はい、分かりました」という時の顔とは質が全く違うと思いませんか?僕はそう思います。
ですから、その「あ、分かった」の顔が本当に分かったのか、分からないのに分かった顔をしているのかを敏感に感じながらやっています。今日も何度もその場面があったと思います。
「あ、分かった」「あ、そっか」や、「ええ?でもこうじゃん」といった気づきがある中で、本当に分かるという意味を理解してもらう、そのための活動時間をできるだけ延ばすためにプリントを作っています。
Q.今のクラスは、2年生になってどう変わった?
伊東 大きく変わったことは、「友だちが困っていないかな?」ということを感じながら勉強できる子が増えてきたところです。「2年生でも、このレベルのことができるんだ」と感じましたね。
ただ、去年の国語の時に音読の点数を付けていたところ、音読が苦手な子が「ああ、今65点ぐらいかな」としょんぼりしていたのですが、最後に回ってきた音読の一番得意な子が、突然へたくそに読み出したのです。
「これはいったい何かな?」と思っているうちに、これはわざとへたくそに読んでいると分かりました。その子を悲しませないために、自分も下手に読んだ子が出てきたことに、「ああ、これはすごいことだな」と感じました。ですから、まだ去年のそのレベルには行っていないのかもしれません。
国語の場面ではそういうことまで起きていますが、今の算数でその場面は、まだ出てきていないかと思います。
Q.今日の子たちのどなたか1人がそういうことをやった?
伊東 そうです。
Q.基礎学力が高くないと『学び合い』はできないという声があるが?
伊東 それはどういう意味か、全く理解ができません。新しい学習指導要領の中に、「人間性」と「学びに向かう力」というものがあり、これが最終的な2つの大きな柱だと思っています。
人間性は、今までずっとしゃべったことそのものです。学びに向かう力は、今出ている資料を読むと、とても頭の良い子たちのことを対象に書いています。では、勉強の苦手な子の学びに向かう力はどうやって育むのかと考えると、『学び合い』しかないと確信しています。
『学び合い』であれば、勉強が苦手だった子が「ああ、分かった」というあの笑顔を出します。ですから、僕はあの笑顔を作るために『学び合い』をしますし、『学び合い』だからこそ、学びに向かう力がどの子にもつくと思っています。
そのことが基礎学力の定着に必ず繋がるという確信を持っていますので、僕は基礎学力をつけるためにも『学び合い』を行っています。
Q.『学び合い』を始めてこれまでで最も印象深い出来事は?
伊東 これは、思い出すだけで涙が出てきます。支援学級の子がクラスにいて、その子はクラスに入って嫌なことがあったり、ある時は音がしたりするだけでも「ギャーッ」と叫ぶ子でした。その子に対してクラスの子どもたちは、「先生、Kくんも僕らの仲間だから、見捨てずに一緒に卒業したい」と話をしていました。
その子は普段、体育館にも入れなかったのですが、卒業式の日に、どうにかみんなの力で少しずつ近づいて体育館の中に入り、好きな女の子やその子の言うことを聞く優しい男の子を隣にするなど色々な工夫をして、卒業式が始まりました。
その卒業式では、入場の時は支援学級の先生が一緒なのですが、退場の時は別々で、その子もクラスメイトの中に入っていました。ですから、最後にその子がきちんと自分で立ち上がり、赤い絨毯を歩いていけるのかをみんなも心配しますし、僕も授業ではない卒業式なので指示もできませんでした。
そして退場の時、僕が前に立ってみんなを立たせ、先頭で赤い絨毯を歩いていると、後ろからざわざわと聞こえてきました。「どうしたのかな?」と思ったのですが、そのまま後ろを振り向けずに体育館を出たところまで行ってから振り向くと、その子をみんなで囲んで、一緒に退場してくる姿が見えたのです。
事前にクラスのみんなに指導した歩き方や、「これ守るんだよ」「一番立派な姿をお母さんに見せなさい」と教えたことを全部無視して、その子のためにみんなで歩いていたその姿に感動しました。
中学生になってからも、「Kくんは今でも元気にしてるよ」と教えてくれたりして、支援が必要な子どもたちにとっても『学び合い』は良いなと思いました。それは、「僕も置いていかれた子ども時代があったのかな?」と、なんとなく思いますよね。やはり、そういうのはグッときます。
Q.『学び合い』に取り組もうとされている全国の先生方に一言お願いします。
伊東 『学び合い』をやるのであれば、最低でも本を5冊熟読してください。やっていくと2パターンに分かれるかと思います。1つは、講義型でも十分できるが、それでは突破できない子どもの限界や自分の指導の限界を知っている人です。この人たちは、折り合いをつけて色々やりながら、『学び合い』のようなことをしても潰れずに続けられます。
ですが、もう1つのパターンとして、自分の指導に限界を迎え、「これではもうどうしようもない」と思って始める人もいます。その人は5冊しっかり読んだ後、僕らを探してください。
「『学び合い』を学び合う会」などで検索してもらうと僕らと出会えますし、僕の名前でも色々出会えるところがあると思いますので、繋がってサポートを受けて、聞いてください。先生自身が「分かりません」と言えるようになるために、まずはプライドを捨てて、みんなで良いクラス、幸せな子どもたちを作ってほしいというのが僕の願いです。
※伊東先生の算数の授業は、学校導入版で視聴できます
学校導入版の詳細はこちらをご覧ください...
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