概要
わざわざテストをしなくても生徒の理解度を瞬時に把握できる“フリップメソッド”とは?
茨城県の土浦日本大学中等教育学校5年生の物理授業の公開がスタートしました!
松原大輔先生の講義の秘密は“フリップメソッド”と“問いかけの仕方”。
「熱」について学ぶ今回の授業。
生徒たちはどんな姿を見せてくれるのでしょうか?必見です!
(インタビュー後編)
アクティブ・ラーニング型授業を始めた経緯
松原 大輔氏(以下、松原) もともとこの学校を設立する10年以上前に、静的教育から動的教育へと言い始めました。要するに「書を捨てて町に」じゃだめで、「書を持って町に」ということです。
そうすると色々なものが見えるということで、それが動的な教育で、例えば町中の植物の植生もそうです。絵を描くにしても緑をよく見たら全部葉っぱの色は違うわけです。
そういうことを観察して何が、なんでこうなのだろうと考えることはすごくいいことだと思うので、たとえ答えが出なくても色々考えてみるということです。
周りには色々な考えるものがあるので、そういうものは見て、調べて、考えてということをやらせたいです。
そして、その中で動的教育において、対話というのも一つのテーマでした。その対話や、コミュニケーション能力をどうするかという点で、例えば、科学について語る場があれば、日常的に知識が自分のものになると考えました。
科学、例えばそれこそ物理など学ぶ時に、まず教科書があって、問題集があり、紙に解いていきます。その時にその内容について語り合うなんてことはあまりありません。
ところが、語り合う空間を作りたいとずっと思ってやってきたのですが、子どもたちは本当に語り合うのです。
先日、宿舎を使ってスタディキャンプをやった時も、そこに行った担任から聞いたところによると、子どもたちは夜遅くまで友達同士で黒板を使って物理についてずっと話していたそうです。
話せる力というのは自分のものですから、われわれは何か話そうとした時に自分の力だから話せます。
なので、ホワイトボードも役に立ちます。ホワイトボードを見ながら、「えっ、だってそれ、こうじゃない?」と話せるからです。
物理はずっと式が関係するので、そういう時に文字化されたものがあったりすると、話せる内容になり、話が盛り上がったりするので、恐らく黒板を使っていろいろ話したりするのではないかと思います。
そういうことを話せる場にし、そして外に出て日ごろから色々なものについて考えてほしいです。
ですからうちの学校ですと、外の研修が多いのですが、そこで見るものについて知っていればより深く見ることができます。知らないものは、深く見ることができないので、それについての本を持っていくべきです。
例えば、レンガの積み方の本を持っていれば色々なレンガの積み方をした家を、「ああ、違う。これは何とかだ」と調べられるわけです。
本に載っていれば調べられるので、その方が面白いのではないかなと僕は思っています。
きっかけとなった出来事
僕が大学院の頃研究したのは、教室内の生徒の認識がどうやって構成されてくかです。
少し難しいですが、先生も含めて生徒たちがどうやってひとつの知識を作っていくか、知識を構築していくか、それをどういうコミュニケーションで構築していくかということです。
僕の中で一つ思いあたったのは、周りの仲のいい友達が言ってることに従ってしまのではないかということです。
それと権威です。「塾の先生が言っていたよ」とか、「教科書に書いてあったよ」、そういう権威に従ってしまうのではないかと思ったのですが、実際よくよく調べてみると、首尾一貫性、論理に惹かれているようでした。ずれがないのです。
たった少数の首尾一貫した論理を言っていたグループに、どんどん生徒たちが集まってきました。さっきの授業での議論も、そのめばえです。
あのまま続ければ、首尾一貫した子がいれば、そこへどんどん他の生徒たちが集まってきます。その首尾一貫性がもし科学と違っていても、それはそれで面白いのかなと思います。やっぱりわれわれは首尾一貫性に惹かれてしまいます。
これを常にやり続ければ、それについて語り合いながら、みんな同じ理論をじわじわと手に入れていくのではないかということも一つのテーマです。
授業で工夫していること
仕掛けはいくつかあるのですが、基本的に子どもたちにいかに発言させるかです。
やはり小学生だと、「はい、はい、はい」って意見を言いたがりますけど、中学生になると言わないことがスタンダードになります。
「はい、先生。何とかだと思います」、「鉄だと思います。水だと思います」と言わないことがスタンダードだと思うのですが、最初のうちにいかにそれをひっくり返すかです。それが一番のメインです。
うちの子どもたちはいろいろ発言してくれます。当てたら大体発言しますし、「わかりません」などはあまり言ってはいけないのだろうなと思っているようです。
「発言すること、間違えることは悪くないんだ」ということをちゃんと論理的に順序立てて示すということが大切です。
あと、子どもたちを動的にするための工夫としては、ほめることです。
間違えても意見を言った子をどんどん、「いいね」とほめる感じです。
彼らが今まで思っていた常識をどんどん壊してくと、結構「ああ、今まで通りじゃなくていいんだ」、「黙っているのがスタンダードじゃないんだ」と考え始めます。
みんな1人ずつ意見を言わせたり、同じ意見を禁止するというのもやります。
オープンクエスチョンを多用すると、「ああ、意見言っていいんだ」という空気になります。
今日も最初そうでしたが、「正解はないから、何書いてもいいんだよ」と伝えると、結構意見を書いてくれます。
生徒の変化
普通授業では子どもたちに当てると「わかりません」や「隣と同じです」などが返ってきます。
例えば誰かが「ルート3です」と解答を言ったら、他の子も「ルート3 です」、「ルート3です」と続くのです。それが恥ずかしいことだと思うようになります。
誰かが「ルート3です」と言ったら、次の人がたとえ同じ答えだと思っていたとしても、「こうだからルート3です」、何かしら足すようになります。あまり「同じです」とだけいうのはよくないなと思っているようです。
何か他人と違う意見を言おうとしますし、問題を解くときも、うちの子たちは計算用紙にびっちりと解答を書きます。こうかな、こうかなと工夫がいっぱい書いてあります。工夫することは大きな変化だと思います。
家庭学習について
僕は家庭学習をあまり促進していません。
家では恐らく保護者の方々が仕事で疲れて帰ってきて、やすらぎを求めるためにデザインしているはずなのです。やすらぎの中では受験勉強などの雰囲気がないので、子どもたちとのんびりしてしまうことが多いと思います。
あえて勉強するようにデザインしている保護者は、かなりそれがわかっている方だと思います。普通のご家庭はやっぱりまったりとテレビ見て団らんする雰囲気にしてあると思うので、なかなか家庭では勉強できないと思います。
だから、図書館で勉強してから帰るとか、受験生になると予備校の自習室で勉強してから帰るというスタイルをみんな取るのだと思います。
ですから、放課後にこの教室を開放しています。
Q. 放課後に開放している?
基本的に課外授業のあとは残っている子が結構います。夕飯食べながら「先生、もうちょっといいですか」と言ってきます。
Q. 双方に勉強している?それとも一人で?
課外授業の時は僕がいますので、質問してきたりもします。
いろんなタイプの子がいます。「もっと勉強しようよ」とか、「先生、これについて教えて」と言われ、黒板で教えてあげたりします。
勉強する雰囲気はできているか
それもできてくると思います。みんな勉強が恥ずかしくないと思っていますから必ず勉強します。
先輩たちが勉強している話や、有名な学者の人たちは勉強に人生を捧げて、あんなかっこいい生き方してるんだよとよく話すことがあります。それによって勉強のなんだか暗いイメージを変えるということはよくやります。
先生のやり方はかっこよくなるための勉強法?
かっこよくなるというか、恐らく基本的に子どもたちがみんなから何かで尊敬されたかったり、最終的には認められたいと思っているのでしょう。
でもその何かを、陸上とか野球などで活躍している子どもは持っていますが、通常の子どもは持っていません。
しかし、何か一つ手に入れて、それについて頑張ってやっていけば、それだけでも一目置かれるので、それだけでもいいのではないかなと思います。
何か勉強するのはかっこ悪くはないです。
自分自身の課題
自分の授業がアクティブ・ラーニング型の授業だとあまり思ってないのです。
子どもたちが能動的になった時、それがアクティブ・ラーニングであって、能動的にさせることが大事なのだと思います。あらゆる場面ですべてが能動的ということは、恐らく人生ではあり得ないと思います。やはり受動的にさせなければならないシーンっていうのも必ずあるはずです。ただ、より能動的であればいいだけなので、そこの中庸ではないですが、どこがゴールかということが永遠のテーマなのだと思います。
子どもたちが全員、授業を積極的に、能動的に、行動的に受けてくれるというのは、永遠のテーマです。どれぐらいの能動性とどれぐらいの受動性のミックスが正解なのかというのもそれはわからないですから、毎回悩んでいます。
「今日の授業もう1回やって」と言われたとしたら、恐らく変わりますし、また違う集団でやった授業というのも当然変わります。
しかし絶対忘れてはいけないことは、恐らく子どもたちが能動的に考えることの比率が多くなっていることです。いわゆるわれわれが否定してきた静的な教育である完全受動型の授業よりは違うと思います。
ただ能動性というのは、恐らく教員が教員であるための必須条件であり、受動をすべて廃するかというと、当然そんなことはありません。
大学受験とのつながり
完全にこれは受験と一致してくると思います。
実験をやると受験には関係ないのではないかと昔はよく言われていました。しかし、それは入試問題を読んでない、見てないということです。大学入試問題は毎年解いていますが、ほとんど実験です。
ほとんど実験で作られていて、それに対してどうアクションを持って、どう考えて、どう表現して、ということがすべてよく練られて入っていると思います。
入試問題は、やはり教員が作ります。ただ判断されるための道具だと思われがちなのですが、自分で入試問題を作ってみればわかるんです。すごく愛情を込めて作ります。
「これに気づいてほしい」、「こんな面白い現象があるんだよ」、「これ、考えられる?」、「こう考えるとこういうことがわかるんだよ、すごくない?」ということを伝えたくて作っているのです。
なので、それをそのまま授業に活かしていくということを実験でよくやります。本当に「この実験どうですか」と皆さんに今見せたいくらいで、恐らく感動すると思います。
「なんで、どうしてか教えてほしい」と思うと、そんなのばかりです。ですから、やればやるほどみんな、「なんで、どうして」と、教えてほしいと能動的になるし、その不思議さを見せれば必ず食らいつきます。
食らいついて能動的にもなるし、受験にも直結します。だから絶対受験に直結しないことがわからないです。実際成績がすべてを示しています。
成績は上がる?
絶対上がります。
Q. なぜ(成績は)上がる?
確実に自分で知りたいという知的欲求があり、能動的だからだと思います。
例えば、ある部屋に通されて目の前に箱があったら、普通「何が入ってるのだろう」と開けます。それさえあれば、僕はその子は知的好奇心あると考えます。
そして、もし朝家を出て学校まで来れるのであれば、その子は論理性があると考えますし、ひらがなを全部覚えているなら、記憶力もあると考えます。その力があれば全員伸びると思います。
伸びている子とか変わった子は必ず評価します。そうするとみんなも、「ああ、やれば変われるんだ」、「あの子でもあんな成績取れるんだ」と思うのは大きいです。
物理は後半に習うので、中学生から見ていると、ずっと勉強できなかった子が突然できるようになったりします。
そういうシーンがこの教室ではボンボン起きるので、それは恐らく子どもたちも何か感じていると思います。
そうすると焦って勉強もします。やはり一番大事なのは「なんで、どうして」という知的好奇心をいかにくすぐるかだと思います。
先生の授業を再現する時のポイント
同じことをやる時に型に囚われすぎてしまう人がいるのですが、基本的にはまず子どもたちの日常と科学の乖離を知るべきだと思います。
やはり日常からスタートさせて、子どもたちが今どのレベルの知識を持っているかということを確認して、そこからこう組み立てていこうと考えています。
まずどのレベルがわかってないのかな、どのレベルの知識なのかなということを確認することは大事だと思います。
それに応じてどう授業を組み上げようというと、若手の先生は大変です。若手の先生なんてまだ授業のスタイルが、板書案作るだけでも1個の板書案しかないと思います。
ところがベテランの先生になると恐らく同じ授業でも10個ぐらいの板書案を作れると思うので、恐らくその場に応じて授業のスタイルを変えることができるのだと思います。
若手の先生はまずは3つぐらい、どのレベルがあるかなって想定していくことが大事だと思います。
まず一つ目は、子どもたちがどのレベルにいるかというのを知り、ゴールは決まっているので、大体ここら辺まで教えたいとそこに導くルートを想定することです。
だからスタート地点を把握することは非常に大事だと思います。
そして二つ目は、その中にどれだけ子どもたちが自分たちで考えて意見を言えるような問いを発するかなのです。問いは大事だと思います。
ものを子供たちに質問する時に、よく「今日は17日だから、17番」とやってしまうのですが、そうではないと思います。いつ、誰に、何を、どのようにして聞くかというルールがないと、当然発問は成立しないはずなのです。
例えば、この問いはこの子に答えてもらおうとか、このタイミングで聞こうとか、これについてはみんながどのぐらい知っているか知りたいから、この子に聞こうとかです。
そうやって喚起させてって、みんなを動かしてくのです。これはダイナミズムとしては絶対必要な要素だと思います。この二つがまずあって、で、最終的には全員の問題に昇華させていくのだと思います。
三つ目は、全員が考えるように持っていくことです。「誰々くんはこう言ってるけど、ほかに意見ある?」という、よく先生たちがやる方法です。
常に誰が当たるかわからない、しかし当たったら答えなければならない。どうしても答えたくない雰囲気をみんなが出したら、ホワイトボードに書いてと言えば書かざるを得ない感じです。恐らくこの三つは絶対要素だと思います。
発問の技法というのは奥深いので、もっと書籍化されてもいいのかなと思います。
IREとかいろんな分析はありますが、私が研究してないだけで、どう当てるとどういうふうに動くかとか、もっと面白いのではないでしょうか。
発話研究はいっぱいありますが、発問研究は面白いと思います。...
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