小学校:その他、算数・数学
単元:各学年で異なる
学校名:四万十町立昭和小学校
先生名:國友通弘
授業の流れ:
3分:課題と取り組みのめあての確認
35分:『学び合い』
7分:振り返り
授業を行う上での注意点や事前準備
○事前に単元全体の課題や評価の基準が示されたシートを配布し、見通しを持たせ、予習も促す。
○実行してみた結果を振り返り、次にどのような行動をとるか考えることを繰り返し、学び方、学び合い方を進歩させていけるよう励ます。
この動画から学べること
○全校児童による『学び合い』
全員が課題を達成するために、自らの判断で自由に行動するよう促す。
概要
全校児童参加の算数授業なんて、想像できますか?本動画では、それを実現するためのポイントを丁寧に説明します。「ALは難しい」とお考えの先生にこそご覧いただきたい動画です。
全校児童が一緒に算数を学ぶ授業です。学年ごとに課題がされていて、子どもたちはそれぞれの課題に一斉に取り組みます。全員共通の目標は、「全員が課題をクリアする」こと。
目標達成のために、ある児童は予習をしてきて自分の課題を早く終わらせ、友達や、下の学年の子に教え始めます。また、自分で分からない時には、周りの人に助けを求めることも大切。助け合って全員達成を目指します。
最後の5分の振り返りタイムでは、ほとんど全員の手が挙がり、出てくるのは「次回全員が課題をクリアするためにはどうすればいいか」という前向きな意見ばかり。一人ひとりがしっかり考えて発言している姿に、思わず拍手してしまいました!
國友先生に、授業の背景にあるお考えやポイントをお伺いしましたのでぜひご覧ください。
Q.学びの意味・醍醐味・おもしろさとは?
國友 通弘先生(以下、國友) この、いま自分がやっている『学び合い』の良さというのは、ある教科だけではなくて、全ての教科、全ての活動、放課後や休み時間も、すべて一貫して「一人も見捨てないようにするにはどうしたらいいかと、自分たちが考えて試行錯誤しよう」ということを常に問いかけるものなのです。
教科で身につけてほしいことは、学習指導要領に入っていることに基づいて、もちろんやっているわけですが、全ての活動を通して、「分からない時に自分はどう動いたらいいか?」「分からない仲間がいる時に自分はそれをどうサポートするか?」「分かった者同士でも、より良いものをどうやって生み出していこうか?」といった相談がどんどん出来るようになってほしい。それが、アクティブ・ラーニングで言われる、汎用性のある力、社会性、倫理性、そういうものを同時に身につけていくことになると思います。
「この授業で」とか「この教科で」という点は、授業の最初で「この時間内に、これはみんなで出来るようにしよう」としっかりと示していて、どのくらい出来たらこの時間の到達度はOKと、自己評価も出来るように与えています。この教科で身につけてほしい中身としては、そこになります。
しかし、それを通して、「人間としてどう生きるか?」とか、「どう学び続けていくか?」とか、そんなことを毎時間問う授業になっています。
Q.今日の授業で最も生徒たちに学び取って欲しかったことは?
國友 自分がこの授業スタイルについて、すごく共感し、これをやりたいと思ったのは、知識や教科をどう教えるか、教師の考えていることを児童の頭にどう移植するか、ではなくて、学ぶ意味を問い続けるという点です。
自分が教師として衝撃的だったのは、オウム真理教の事件や、世にある詐欺師の事件です。あれらの事件は、ものすごく知識がある人たちが起こしているわけですよね。そんな人たちが、とんでもなく反社会的なことをしている。
だから、いくら知識を教えても、それが社会に有益な結び付き方をしていないままの知識というのは、かえって害悪にすらなる。それならむしろ、知らないほうがいい。例えば、サリンの作り方についても、知らなければ、あそこまで出来ないわけですから。
だから、知識というものが、私のため、それから身の回りの誰かのために役立つということを、毎回毎回意識してほしかったという想いがありますね。学ぶ意味というのは、そんなところでしょうか。
実は子どもたちにもそういう話をします。「昔、こんな事件があってね」であったり、「賢い人がすごい詐欺、騙しをする。あれは法律のことや、色んなことを知っているから出来ることだ」だとか、「賢い人がやっているけど、それは困ったことでしょ」というような話を子どもたちにしています。
むしろ教材の中身の話よりも、そちらの話が多いですね。
Q.生徒たちを学びに惹きつけるために特に創意工夫されたこと
國友 今までの自分は、「子どもたちが興味を持つ、面白いものをどうやって持ってくるか?」とか、「どうやってこちらの話を聞かせるか?」とか、そういったことを一生懸命やっていました。
また、「学び方を身につけるためには、最も良い学び方は何か」と、唯一の「良い学び方」を求めて、子どもたちにそのやり方を一斉にやらせる、といったことを考えていました。
しかし、どうも学んでいくうちに、「そうではなくて、人それぞれのやり方がある。人数にもよるし、メンバーにもよるし、何を決めるかにもよる」ということを考えるようになってきました。
今日も子どもたちがやっていたように、「今日、この話をするのであれば、机をくっつけたほうがいいよね」と、自分たちで考えられるようにしているわけです。だから、本来、人というのは学び合うっていうのが本性であって、特別な何かを付け足して、学び合い方を教えるのではなくて、むしろ邪魔をしないことがすごく大事だということを『学び合い』の方々から)お聞きしました。
また、実証的なデータもありました。教師が良かれと思って差し伸べた手が、結局、お互いの学び合い方を阻害しているということが、レコーダーで記録されて残っていたのです。それらを見て、自分はショックを受けました。
「あ、良かれと思ってやってきたことが、そんなに学びを阻害しているんだ」と。
教師が繋げてあげることをしていると、いつまでも誰か繋げてくれることを待ってしまう。自分から発信したり、自分で受信したりする力を、逆に潰してしまっているかもしれないということに気づきました。というか、気づかされてしまいました。
そうして、子どもたちに任せたら、間違いもたくさん言いますが、学び合いの中で、段々修正されていくんですよね。その良さがすごいあります。本来、人は学び合うものであるということです。
基本、邪魔をしないことがいちばん大事ということだと思います。「その目標を達成できるなら、色んなことを試してごらん」と自由にさせています。もちろん、「教室の外にあれがあるから取ってきていい?」と聞いてきたら、それもOKにしています。それが1つですね。
それから、今までは、子どもたちの興味を引くために、面白いものを付け加えて、これも付け加え、あれも付け加えとやってきましたが、「この授業で必要なのは何か」という視点で、むしろ削る作業をどんどんして、「これさえ出来たらOK」という点を絞り、あとは子どもたちに任せるというような形にしたのが1つです。
そのためには、自分たちで動けるように目標を決めて、「こういうことが、これだけ出来たら、君たちゴールだよ」と伝え、ゴールについては、「評価の基準は、これですよ」と示すようにしています。
基準については、「もちろん先生も評価するけど、先生がいつまでも付かなくても、自分たちで出来るようになってほしいよね」というように話しています。
これで、一時間の授業中、一応興味が続きます。全員が達成するために動きますので。以前は、何か珍しいものを持ってきて、見せた後に「はいはい、面白いのはもう終わりね」といった話をすることがよくありましたが、それが無くなりました。
任せることで、誰とどこでいつ学ぶようにするかというのは、個人で決めるようになります。それから、誰と学ぶかも、個人で学ぶかも自由です。ただし、縛りとしては、「全員が目標を達成する」ことです。それについては、全員が責任を負っていると繰り返し伝えます。
あの人と今日話していないかもしれないけれど、その人が達成できなかった、「あの人のために自分が何か出来ることはなかったかな?」とか、そんなことを毎回振り返って考えるようにさせています。
それからもう一つ。時間を延ばさない。「この時間内に終わらなかったから、じゃあ続きは、次の時間にやるね」ではなくて、「次の時間は計画通り、次の時間のことをやるから、それまでにきちんと自分たちでなんとかしてね」と時間内に終わらせることを求めます。
そこをずるずるしてしまうと、学びがだらけてくるんですよね。「だらだらやれば、それだけ時間くれる」ではなく、時間を延ばさないというスタンスが大事です。そうすると、「あなた、出来ていなかったところない?」と、児童たちで確認しだすのです。
「ちょっと続きやろうよ」と、休みの時間にやったりしています。今日見ていただいたように、予習をする子が数多く出てきたんですよね。
基本、一人で出来ることは一人でやり、学校で学び合う時間を確保してあげる。そして、「何が分かってて何が分からないかをうちではっきりさせてきたほうが、学びが深くなるよね」といったことを言っています。
そうして、普段ちょっと苦手なものでも予習していたら人の役に立てるとか、そんなことが実感できると、興味が湧いて自分からたくさん予習をやってくるようになる。今日も、全校の学び合いの時もそうでしたが、スタートと同時に、もう答え合わせに行った子がいました。やはり早く自分は終わらせて、他の子に関わりたいとか、誰かの役に立ちたいという気持ちがあるということですね。
それからもう1つが、振り返りの時間を作るということです。
私は、以前は「ああ時間内に終わらなかったなぁ」と、振り返りを端折っていたのですが、そうすると、まずかった学び合い方とか、この時間に身につけたことをやはり意識出来なくて、次の時間にまただらけてしまうことになり、もったいないなと思いながらずっと授業をしてきました。
そこで、タイマーで縛って、あと5分のところで今日の授業のような振り返りの時間を取るようにしています。
あとは、情報や答えを、「ここにあるよ。」と先に示していることもあります。どんなに考えても分からない場合は、結局、先生がヒント与えたりすることになるので、だったら初めからここに置いておいて、どのタイミングで見るかも児童たちに任せて良いのではないかと。
最初は、ズルをして見て、本当は分かっていないのに写したりする子も確かに出てきますけれど、それが見えた時に「それって本当にいいの?」と毎回問い返すようにしています。そうすることで、さきほど言っていた、児童たちの学び方が進化していくようになるのです。
まずい部分があったら、ズルが出来ないように教師が手立てを考えてやらせると、イタチごっこになってしまいます。そうではなくて、「ズルも出来る状態だけど、するの?しないの?どうなの?あなたたち。」と問いかけます。
「本当に生きていくために必要な力はどうなの?」と言ったら、みんながしっかりと、「それ、やはり、ちゃんとしてないよね?」という話をお互いに出来るようになる。
対処療法ではなく、根治療法というか、心の部分から変わっていく。「何のために学んでいるか?」が分かるように語りかけていくとか、そういったところが大事だと思っています。
Q.1年間の授業時間を100%とした場合、教師によるインプットの割合は?
國友 教科にもよりますが、好きな教科はついつい喋りすぎてしまいます。それでも、喋るのは1割ぐらいでしょうか。段々フェードアウトで少なくするようにしています。
今日の授業は、初めての試みもあったので、間にかなり入ってしまいました。僕としては不本意です。本当は、最初から任せていって、最初は出来なくても、自分で課題を見てから、段々出来るようになってほしいなと思っています。だから、基本、段々フェードアウトしたいです。
今日はかなり多かったです。最初の部分で、戸惑いもあったようだったので。
Q.教師によるインプットの割合を下げる理由とコツは?
國友 このように、毎時間何をするかという課題のシートを作っています。これは、必ずしも作らずに毎時間示してもいいのですが、この単元で何が身についたら良いのかを一覧にして渡していくと、僕が例えば会議とかで長引いて遅れた時も、子どもたちはもう、これ見ながら始めているのです。
「ああ、先生、もうやっているよ」と、どんどん進めているのです。児童がノっている時は、もう2,3時間先の予習をしていたり、発展問題に取り組んだりとかするのです。
それからもちろん、一番大事な「仲間が全員、今日はここまでのところが出来ているかどうか」をはっきりと確認しながらいきます。これはさっき言った仕掛けの一つでもあります。
また、『学び合い』をしていると、一人で学ぶ力がつかなくなるのでは、とよく言われるのですが、私の場合は、単元の課題シートを渡しているので、私たちが推理もので先に犯人を見たくないのと一緒で、出来る子は、ある程度出来るようになると、自分で調節して先を見ずに、自分で考えることをし始めます。
勝手に教えてくる人がいたら、「ちょっと待って、今自分で考えたいから」と言うようになるので、そこも任せています。どのタイミングで答えを見るかも任せます。本当に分からない時は、答え見てから「ああ、なるほどね」と後で分かることもありますし、それも十分勉強になります。
段々、自分で考える力がついてくるということです。そういう習慣のない子がいきなり、「とにかく一人で考えなさい」と言われてしまうと、考える手立てもない状況です。「分からないところがあったら、教科書の今までのとこを見たら分かる」ということすら分からない子がいるのですが、他の人との学びの中でそういうことが身についてくるということがありますので、単元の課題シートを配っていますね。時間がわりと短縮出来ています。
最初は、「子どもに任せると進まないのではないか?」と言われるかもしれませんが、時間はむしろ短縮されて、どんどん進めることが出来るので、授業進度が遅れることはあまりないですね。
Q.今日の授業に至るまでの、どのような試行錯誤をされてきましたか?
國友 自分の目指すのは、やはり「ただ勉強できるようになる」ではなく、自分の力を出し合って、互いに貢献できる仲間関係を作るということが理想でした。しかし一日のうちのほとんどを占めるその授業の時間は、私が分かってない子のところに個別に行ったりしていました。
話し合いを持たせるにしても、それはもう付け足しのような感じで「とりあえず話させておこうか」と、ついなってしまっていたので、そこが悩みでした。
普段から、例えば、学級会の時や何かしら行事の時に「協力する」ということは、あれだけ一生懸命児童たちに訴えているのに、そして子どもたちもそれに応えようとしているのに、一日のほとんどを占めている授業時間でそれが実現出来ていないのが、すごく矛盾を感じていて、「どうしたらいいんだろう?」と思っていました。
一斉授業をしていく中で、僕が、児童みんなが納得できる、一つの説明の仕方を一生懸命考えて分からせる。一つのやり方に統一して分からせるということを、求めてきたのです。
まあ、だいたい授業のレベルというか、理解度が中ぐらいの子に合わせてやっているわけですよね。そうすると、やはりもう分かっている子は、待たなければならず、わりと退屈な時間になってしまいます。
一方、分からない子にとっては、「そこらへんで会話されてることが、何言ってるか分からない」となり、結局、上の子も摘んでしまうし、下の子は置き去りになってしまって、休み時間に出来なかった続きを個別にする、ということが何度もありました。
でも、学習の遅れが目立つ子は、休み時間も友達と一緒に遊べない。分かっていないから、宿題もあまり出来ないままで学校に来てしまって、「じゃあ先生とやろうか。」と、休み時間もずっと私が取り切って、私と過ごすことに矛盾を感じていました。やはりこれでは「友達といっぱい関わって話す力」がつかないと思っていました。
一番強くそれを感じたのは、腎臓病の子がいたときのことです。その子は感染してしまうと、明日からでもみんなと一緒に学校に通えない、命を落とすかもしれない子でした。
その子が病弱ながらも学校に来て、でも勉強が分かっていないから、僕が個別に遅れている勉強を教えるのですが、今教えていることが、その子はもう本当に明日からも学校に来れなくなるかもしれないのに、どれだけの意味があるのかと考えていく中で、なんとか子ども同士関われるようにしたいと思うようになりました。
『学び合い』を取り入れたら、その子は普段元気に遊べないけれど、授業中にみんなが関わってくれて、友達関係が出来て、「夏休みも友達が家に来てくれるようになりましたよ」と言うのです。そんな友達関係の変化も見られました。
また、学習がすごく進む子も遅れている子も、みんなで分かり合ってくるので、よく二極化と言われますが、それがなくなってきて、段々寄って上がってくるのです。だから、平均点もすごく良くなります。
勉強が進んでいる子は、教えることで、理解していない人にどう説明するかとかいうことを学んでいって、すごく意欲的になります。一方、勉強が遅れがちな子は、一生懸命友達が関わってくれる。それがすごく嬉しいようです。
よく「序列化されて、上下関係が出来てしまうのでは?」とも言われますが、まったくそれはありません。逆に先生がこっそり取り出して勉強させている子は、子どもたちは、「ああ、あの子はちょっと分かっていないから」と低く見たりしがちです。
でも、自分が関わって一生懸命教えた子に対しては、絶対下に見ません。授業時間が終わっても、一生懸命、「まだ分かってない。もうちょっと説明させて」と教えています。そういった良い関係が生まれてきました。
『学び合い』を取り入れる前は、心の問題と学習の問題があって、バランス取るのに苦労していました。「学習に身が入らないから、まず、心の問題を解決しないといけない」と、たくさん話し合い活動をしたり、カウンセリングも勉強して、色々やったりもしましたが、やはりそれだと授業が遅れていってしまいます。
それが『学び合い』だと同時に出来るのです。勉強を進めながら、理解も深めながら、仲間との繋がりも深めていける。今まで自分が悩んでいた、心と学習についてバラバラに考えていたものが、やっと一つになれて、すとんと落ちたというところがありますね。
カウンセリングを学んだりすることで、子どもと僕が繋がることは出来ても、子ども同士の繋がりを作ることは別です。結局、悩みがあったら、先生と話すということをし続けていたら、やはり、友達同士の繋がりがあまり持てないので困ります。
それも一つの悩みとしてあったので、この『学び合い』の授業を、取り入れて良かったという印象、手応えを感じましたね。
Q.より良い授業のために普段から努力していることは?
國友 『学び合い』というのは、コンピューターで言うと良く出来たOSみたいなものだと思います。はっきりここで言わせてもらいますが、私はごく普通の教員で、特に、よくネットであげられているようなカリスマとか、そんな力量は一切ありません。
もう毎日悩みに悩み続けてきましたが、『学び合い』に出会ってから、子どもたちが生き生きと動き出したりとか、今まで取らせることの出来なかった点数も全員が取ってきたりしだしたので、自分自身が驚いています。
今まで「いかに教師が良い教え方をするか?」と一生懸命やってきました。それは一つの大事な研究ではあるし、全然否定するわけではなく、大事なことです。例えば、「どうやったらこれがうまく分かるか」というような研究の成果は、子どもたちにもオープンに見せて、「色んなやり方があるけど、自分に合ったものを探してみて」という形で提示することはあります。
ですので、そういった教材の、より分かりやすい教え方は、勉強も一応はしますけど、前よりも比重が高くなってきたのは、心理学や、経営学の勉強です。認知心理学もありますし、社会心理学もありますし、そういうような知識がむしろ役立つようになってきました。
「人はどうやったらモチベーションが上がるか?」といった勉強であったり、学び合うことがいかに有益であるかということを、ちょっとアンテナ張って、ニュースとか、色んな社会的な事象に結び付けて、それを子どもたちに話したり。
そして、どうやって理解して進んでいくかも子どもたちに任せてしまう。そのほうが、むしろモチベーションが上がって、自分たちで試行錯誤するようになったので、裏の努力といえばそれですね。
それから、さきほど「削る作業をする」と言いましたが、教材研究も、むしろ前よりもしています。「この教材の肝は何なのか」とか、「この単元の大事なとこは何だろうか」といったことを、学習指導要領を逆に今まで以上に見て、それをもとに削る作業をするといったことをしますので、もちろん教材の研究は大事だということです。
色んな人と繋がりながら。全国の人とか、学校の中の先生にも教えていただきながら、そういう研究はしていますが、ちょっと比重が変わってきたということはあるかもしれません。
それから、今日の全校算数を見ていただいてお分かりのように、教師同士の学び合いというのを大事にしたいとも思っています。全校で、「『学び合い』の「方法」に目を向けて研究をしよう」ではなく、教師も子どもたちにしているのとまったく同じ学び方をしたいと思っています。
つまり、まず「こんな子どもたちを作ろうよ」と目標をしっかり設定する。具体的目標としては、例えば市販のテストは何点以上、平均点ではなく、最低点を何点にしようという目標を決める。
それをもとに、みんなで話し合ったり。それから、Q-Uアンケートという人間関係を測る指標になるアンケートがありますが、それを元に要支援群の子をなくして、こちらの良いところに持って行こうとか。それを、データを元に話す。
感情だけではなくデータで、ということが前面に出てきていますね。学校全体も、壁に掲示してあるスローガン『一人も見捨てず最後まで』は、校長さんが各教室に掲示することを考えました。『学び合い』に出会って、校長先生が前から思っていたことと重なったということで、推進してくださっています。
子どもたちの中にも、だいぶ定着していますね。いろいろな活動において、「それって『一人も見捨てず最後まで』に合ってるの?」という目で見ることが出来る形に表れてきています。その考え方が、ただのスローガンというかお題目に終わらずに、毎回それで振り返るような形で本当にやっています。
Q.AL型授業をするにあたり、欠かすことのできない準備は?
國友 さきほど少し触れましたが、「アクティブ」というと、「ただ動く」ではなくて、主体的に能動的にという意味があると思うので、そのためには、やはりゴールが見えていないといけないと思います。
先生が繋げたりとか、こちらがゴールを隠して持っていて「実はこうでした」といった形ではなく、先にゴールを示して、それがどの程度で出来たらいいかというゴールイメージをしっかり持ってもらうこと。それに加え、自由に動ける時間を極力多くするということですね。
教師の説明も要るのではと言われますが、説明は、書いて済むものならプリントにして置いておく。必要になったら、そこで見たらいいことですし、その情報がその学習のうちのどこで必要になるかは、その子によって違ったりするのです。
だから、いつでも見られる状態に置いておくほうがむしろ良いと思っています。授業の初めに、先生が一応全部解説してから始めると良くないです。その言葉の重要性が、進んでいくうちに、初めて分かることってありますよね。
最初に言われた注意は全然聞けてなくて、躓きに出会って初めて、「あっ」と分かることもあります。その時に見られるようにしておきたいので、準備と言えば、そんなところですよね。
環境を整えて、その時間に必要になるかなと考えて、教具等を準備しておく。その教具の具体的な操作をしながら考えたりする。積み木とかを用意して、「自由に使って」と並べるということもあります。
ゴールイメージを、教師だけではなくて、子どもたち全員が共有出来るようにすることはやはり欠かせません。そのためには必要は言えない部分を削っていくことも大事です。時間を確保するために、様々なことを削ります。それがアクティブ・ラーニングには欠かせないのだろうと思っています。
それから、もう1つが、さらに大きな目的を語ることですね。「この授業の、これが分かったらこんな良いことがある」だけではなく、「何のために自分たちは学ぶのだろう?」とか、「人としてどう生きたらいいのだろう?」といったことを常に問うようにしますね。
その、一段上の目的があるほうが、やはり学びが動きやすいと感じています。あと、友達と関われる自由も保障したほうが良いだろうと思います。
Q.AL型授業を取り組むようになってからの手応えや、これからも大事にしていきたいことは?
國友 自由に動かすことで、見えることがたくさんあるなと思いました。僕が今まで見積もっていたよりも遙かに高い能力を、「子ども」、個人というよりも「子どもたち」が持っている。繋がった時にものすごい爆発的な力を出せるということに気づかされたのが一つです。
そしてもう一つ、自分が思っていた以上に出来ないこともあるんだなというのが発見されました。それは、自由に動かすことで見えてきました。だから、「これだけ出来ると思っていても、実は出来なかったのか」が見えてくると、次の課題は、「じゃあこの子たちにはこれが必要」ということが見えてきます。
それまでの自分の授業では、自分のイメージの中でやっていたことを自分の路線に従って教えてきたものなので、実はすごく取りこぼしていたり、見ていなかったもの、低く見積もりすぎていたり、高く見積もりすぎていたものがあるな、ということが分かりました。それも手応えの一つなのかと思っています。
それから、今までは、子どもたちに何か文章を書かせて、一人一人の文を見たとき、「あ、この子の意見が良いな」と感じると、「次の時間これを使って、この方向に持っていこう」などと教師だけで考えていました。なので、ものすごい時間も掛かっていたのが、子どもたちが自分たちで繋がることによって、いろいろな意見が一斉に出てくるのです。
今までは、この授業はこの子のこの意見を採り上げて、ちょっと感動的な場面にも出来るかなと思ったり、この子に脚光を浴びせようと考えたり、こちらがかなり仕組んで持っていく、ということが多くありました。
しかし、子どもたちに自由にさせたら、こちらが意図してないところで、もう同時多発的に教室の中でたくさんの素晴らしい発言があったり、素晴らしい行動があったりし始めたのです。
今日も全校の算数を見てもらう中で、「あの子がこんなに動くようになった」という喜びを教師同士でも共有できました。感動する場面がたくさんになると、もう『学び合い』を取り入れた最初の頃は、毎回ちょっと涙が出てしまって、「ごめんなさい」と謝りました。
「今まで、あなたたちにしゃべる力がないと思って、こっちが仕切って止めていたけれど、邪魔をしていたのは先生だね」であったり「これだけしゃべれるんだね」といったことを言いました。
今までこちらが仕組んで作れた感動の場面は、1年に1回か2回、あるかないかですよね。それが1日の1時間のうちに、ババババッと色んなことが同時に起こることがあって、本当に感動の連続です。なので『学び合い』をやらない手はないと思っています。
自分がレールを敷いたばっかりに、子どもたちのいろいろなものを阻害していたかという、余計なお節介していたか、というのを感じましたね。
Q.AL型授業を通じて、生徒たちに教えられたことは?
國友 子どもはそんなにやわじゃないなと思いました。自由にさせたら、とんでもなく困ったことをするのではと思っていたのです。でも、任せることで、「あ、ちゃんと先生は自分達を信頼してくれるようになった」ということが伝わると、しっかりし出すんですよね。
なかなか落ち着かない子たちに、「ほら、そこ!また、こうなってる、こうなってる」と、どんどん指摘すると、嫌になってしまって、逆に反発をしてしまいます。「先生が言うからやりたくない」とか、無意味な反発になってしまうよりは「自由にして。ただし結果は出してね」と言ってニコッと笑うと、かえって責任感を持ってやりだすのです。
ご覧いただいた、3年生の一人の子は、入学した時はとてもやんちゃな子で、自分勝手にいろいろとやっていた子でした。でもその子らが、下級生が入ってきて、全校で学び合いして、学級の中で他の子と関わりながらやっていく中で、自分をセーブしたり、どうやって役に立とうかといったことを考えだしたりするので、自己有用感を感じて、段々と良くなってくるのです。
ちょっと多動気味の子に、「まず落ち着いて座らせてからじゃないと勉強できない」というのと逆ですよね。もちろん、落ち着いたら出来る場合もありますけど、むしろ「自由に動いていいから、理解して」と言ったら理解できることも多いのです。理解できたら、段々分かってきて、落ち着くっていうようなパターンを数多く経験してきました。
また、よく「教える前に、まずは姿勢を」という考えがありますが、違うアプローチもあるのではないかとも思います。いろいろな可能性があるということです。こちらが仕組んだ路線はもう、全然無意味なことも多くて、子どもたちが考えたことややり方が良いといったことも発見させられますね。
選んでやってもらうというのは、責任を任せるということです。そうするとプライドも高くなって、次から、「では、どうやって役立とうか?」と試行錯誤する意欲がついてきます。やはり僕が最良の方法を勉強してきて、それをコピーさせるよりも、自分達で試行錯誤して掴んでいくほうが良いのだろうと感じますね。
ユニバーサル・デザインとも言われますけど、「いろいろな特性を持った子がいるので、その子をどうしたら良いか?」ということをみんなで話し合っていくのが良いのだと思います。
以前に、時間の管理がなかなか難しい子がいて、「どうする?」といったことを話し合ったことがありました。教室の前にも、全員が見られるタイマーがあるけれど、「○○ちゃんは、5分ごとぐらいに声を掛けないと遅れてしまうね。どうしたらいい?」と話をしていたら、もう一個その子用のタイマーを用意していて、それで解決していたのです。
その子に応じたやり方を自分たちで探っていく。時々専門的な知識を与える事も出来るのですが、それも「選ぶかどうかは、子どもたち」というふうにしています。そうすると、次から自分たちで、いろいろなことに対して、解決策を考え出すようになるのです。
Q.基礎学力が高くなければAL型授業は出来ないでしょうか?
國友 出来ています。確実に。それまで学習について来れなかった子が出来るようになりました。それはやはり、大好きな友達と一緒に関わることが大きいと思います。モチベーションが上がるので、時間もたくさん自主的に取るようになり、低学力の子も上がってきています。二極化はないです。
Q.「教科書の内容をこなすので精一杯。AL型授業をやっている余裕なんてない」という声についてはどうお考えになりますか?
國友 はい。ご覧の通り、教科書を使ってアクティブ・ラーニングをしています。だから、いろいろな教材を持ってくるよりも、もう教科書を与えているので、それに基づいて自分たちで考えるというやり方です。いろいろな教材を持ってきてしまうと、「次は何か?」と子どもたちが待たなくてはならないので、アクティブではなくなってしまう。
むしろ教科書を使って、遅れずにやることが出来ています。
Q.「要領の良い生徒などの一部の生徒が主導権を握り、その他の生徒の学びが深まらない」という声については、どう考えになりますか?
國友 それは、そういうことが起きないようにするということです。もしそういうことが起きれば、「そうなっているけれど、どうする?」と子どもたちにまた返します。最初は、僕が解決策を自分で一生懸命考えていたのですが、「ああ、また自分で考えてしまっている。これを返そう」と考えるようにしました。
「こういう困った状態があるけれど、あなたたちどうしますか?」と尋ねると、必ず何か対策を考えて子どもたちが行動するのです。で、私が考えていたのと同じやり方であっても、私が押しつけたのと比べたら、自分たちで考えたので、守ろうとする意欲も湧きますね。
だから、そういったことは起きていません。で、結果としても、見ていただいた通り起きていないので、そう心配はないと思います。
Q.全校授業・複式授業を行う意義は?
國友 例えば、下の学年で十分身についてなかったことを、もう一度復習出来るんですよね。自分たちでも、あの学年の時は分からなかったけれど、ちょっとすると、何故か分かってしまっていたことがあったりするので。
うちの学級だったら、複式の授業の中で復習が出来るんですよね。一度がっつり理解したらもう忘れないかと言えばそうではなくて、その時はすごく分かったとしても、やはり忘れてしまいますよね。だから、繰り返し、復習するということは定着になると思います。
あと、自分と違うことをしている人にも気を遣えるというのも意義だと思います。例えば、職場でも、同じ職場の中で、それぞれ別々の仕事をすることもありますよね。その中で、人に気を遣いながら、こっちが分かっていない課題を、「ちょっといい?」と言って、交渉したり、「ちょっと今、忙しいから」と断ったりとかいろいろとあると思います。
そういった際に、ちょっと手を止めて力を貸す。そういうことが出来るのも意義だと思います。
Q.全国の先生方へメッセージ
國友 先ほども言ったように、自分は本来力量がある教師では全然ありません。それでも、このセオリーに従って、子どもたちを信じて任せて、語りかけていったら、彼らが応えてくれるので、是非試してほしいと思っています。
また、あまり納得しないままにやってしまうと、やはりいけないと思いますので、なかなか納得できない場合は、ご自分のやり方でも良いかもしれません。これから求められている、コミュニケーション能力といったようものを育てるやり方を、それぞれが追い求めていけば良いと思います。
私も、その方々からさらに学んでいきたいです。ですから、いろんな、多様な方法を試していきましょうと思っています。やってみると、思ったよりも、子どもたちは出来ることがあるなと驚かされると思うので、是非、関心のある方は、一緒に研究してくださったら嬉しいです。
※國友先生の算数の授業は、学校導入版で視聴できます
学校導入版での詳細はこちらをご覧ください...
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