概要
納期までにミッション達成せよ!社会で生き残っていく力を身に付ける、高校3年生のための政治経済。教員歴20年のこだわりを手放してたどり着いた、学びのダイナミクスと快感が渦巻く授業とは。
「生徒たちは、自分が思っていた以上に『分かりたい』という強い気持ちを持っています。
教師の役割は、生徒が学ぶ能力をありのままに発揮するための環境設定をし、もし迷うことがあれば、道しるべになることだと、今は思っています」
教員歴20年の鈴木先生は、全員がわかる授業を目指して、話術を磨き、パフォーマンスを磨きつづけてきましたが、ある時、生徒の学ぶ意欲が自分が思うよりもずっと強いことに気づき、それまでの授業の在り方やこだわりを捨てたそうです。
そうして行き着いた『学び合い』の授業について、お話をお伺いしました。
特にキャリアがある故に、変わることに躊躇している先生に見ていただきたい動画です。
ぜひご覧ください。
Q. 今日初めて撮影が入りましたが、ざっくばらんに生徒の様子はどうでしたか?
鈴木 庸介先生(以下鈴木) 最初はやはり少し普段と雰囲気が違うのもあって、緊張とは違うと思いますが、少し興奮状態ではあったと思います。ですが、授業に入ると同時に、いつも通りの展開になってきたかなという気がします。
「いつも以上に」というところもありませんが、「いつも以下」なところもなく、本当に自然な感じでできたのかなというのが、今日の所の手応えです。
Q. 授業公開について
鈴木 自分にノルマとして課しているのは、月に最低1回は気軽に見にきていただく公開日を作ることです。その他頼まれている時や見学の依頼があった時は、随時公開という形でやっています。
人が見にくるのは慣れていると思いますね。今の授業形態だとある意味参加型と言いますか、見に来ていただいた方も中に入って、生徒と色々お話ししながら進めます。生徒としてみると、違和感なく色々な人と話しながら授業が進んでいくイメージでしょうか。
人に見られているとオープンな状態でやることになるので、一つひとつの行動に対して自分たちの責任が出てくるのかなと思います。人に見られていると意識することによって、彼ら自身も1ランク高い行動をするという目標が生まれてきているようですね。それはすごくありがたい副産物だなと感じています。
Q. 先生ご自身の変化はありますか?
鈴木 公開をすることで、でしょうか?やはり「失敗できないな」というプレッシャーはすごく感じます。特にいわゆる今までの授業とは違う形態でやっている部分があるので、それがうまくいかないと「やっぱりうまくいかないじゃん」と受け取られてしまいます。ですから、公開する以上はある一定以上のしっかりした授業を見せなくてはいけません。そこのプレッシャーは、公開する時に少なからずあります。
Q. 先生がこの授業の中で、生徒に最も学び取ってほしかったところはどういった点でしょうか?
鈴木 授業ですので、学力は当然のことながら保証していかなければいけません。ですから、そこは確実なものにします。
ただ、プラスアルファとして、これから彼らが生きていく時代には、学力だけでは通用しない時代になってくるであろうと言われています。だからこそ、彼らが仲間と繋がれる力、チームで何かをやるべき力、自分がその中で役割を果たしていく力、その辺をやはり授業を通じて、学力と同時に彼らに身につけていってもらいたいと思っています。
これがやはり授業をやっていく上での、私の最大のテーマになっていますね。
Q. 今回の授業について
鈴木 少し課題を欲張りすぎてしまったかなというのが、反省点としてありますね。最終的に、あの課題の量で達成したのは全体の7~8割でしたか。ただ、よく頑張れているなというのが正直なところです。
何よりも良かったのは、クリアできていない子たちが諦めてしまっているわけでも、やっていなかったわけでもないところです。実を言うと彼らはある程度終わっているのですよね。
ところが自分の中でまだ腑に落ちない部分があるので、そこが解決するまではネームプレート動かさないのです。今あの集団に関して言うと、そういう意識がすごく高まってきているなと思っています。
その意味では、確かに達成度でいうと8割いくかいかないかぐらいだったのかもしれませんが、学んでいるか学んでいないかという部分に関してみると、十分な学びはあの授業の中でできているのではないかなと考えます。
今日は休み時間が少しバタバタしていたので無いのですが、普段は授業の後だと、あの後もディスカッションが続くケースが結構あるのです。恐らく今日も達成できない子たちは、そういう部分を感じながら終わっていったのではないかなという気がします。
Q. 「これはプロジェクトである」「ミッションがある」「納期がある」「目標達成」という、いわゆるビジネス用語を使って授業が進行されていたのですが、意図はありますか?
鈴木 1年生には同じ言葉は使いません。今日の集団は3年生だというのが、1つ大きなポイントですね。
彼らの中には、18歳でこの3月にもう社会に出ていくメンバーが何人かいます。大学へ進学する、専門学校へ進学するというメンバーもいます。
いわゆる「学校」という、守られている中から出ていく、飛び出ていく生徒たちです。だからこそ社会として社会の中で生き残っていく為の能力、社会の中で生き残っていくやり方を身につけていってもらいたいと思っています。
その為には、学校の中だけの言葉ではなくて、社会一般で使われているビジネス的な言葉、社会全体で普通に使われる言葉を、彼らに感じてもらいたいのです。
自分たちの身の回りでそれがどういうところに当てはまるのかを感じてもらいたい、というところで3年生に関してはその言葉を使わせてもらっています。
1年生はさすがにまだそこまでいかないので、全く別の言葉を使います。私は『学び合い』という手法を取り入れているのですが、その中で「見捨てない」という言葉をよく使います。1年生などには、「見捨てない」「仲間を見捨てない」その言葉をやはり積極的に頻繁に使います。
3年生には最初はその言葉でいきますが、ある程度1学期間やり続けています。ですから、彼らの中で「見捨てない」ことが、自分が世の中に出た時にどういう場面で繋がってくるのかを意識させる為に、ビジネスの言葉が出します。それが意図しているところです。
Q. 『学び合い』の授業の方式
鈴木 4月の最初に、「あの形でやるよ」と説明してやり始めています。去年から私以外にも取り組んでいた教員がいたので、その先生の授業で『学び合い』を経験している生徒も3名くらいいたと思います。
頻度でいうと、1週間に『学び合い』の時間は3単位なので3時間あるのですが、多い時でそのうち3回丸々やる時もあります。少ない時で1回、平均すると2回以上ですね。単元によって講義を入れるところも当然あるので、毎回全てあの形でやっているわけではありません。
Q. 生徒たちの最初の反応
鈴木 最初はやはり、小学校の時から今までやってきた授業とは考え方も見た目も全然違うので、「そんなことやっていいんですか?」という素直なリアクションが最初は出ていましたね。
「別にやったっていいんだよ。もっとこうすれば君らの学びが深まるんじゃないの?」と何回も繰り返していきました。そして、彼ら自身が友達の動きを見て「こういうことやると良くなるんだ」と学び方をまた学んでいって、今のような集団になってきているのではないでしょうか。
ただ、あれは進化系なので、今後も恐らくあの集団はどんどん進化して変化していくのだろうなという気がします。
Q. 『学び合い』の授業を経験した生徒たち
鈴木 1学期間やってきて、「こういう状態になれていればいいな」と設定していたものは、もうすでにクリアしていると思います。要は、仲間としっかりと繋がることができて、今日も途中で何回か使わせてもらいましたが、わからないところをわからないと素直に言えるようになりました。
そして、わからない仲間を見つけた時に、「大丈夫?」と声を掛けられる状態になってきています。「繋がる」という面にしてみると、1学期間である程度のことは、こっちが想定していた以上になってきたかなと思います。
次はいよいよその上の段階に行かなければいけませんので、当然あのグループの中で定められたミッションをクリアしていくことにこだわってもらいたいです。そのミッションを達成する為には今やっていないこと、今できていないことの何ができていないのだろう、というところにまた気付いていってもらいたいですね。その段階に入っていくかなという気がしています。
Q. 生徒たちの変化
鈴木 4月から始めたのですが、結構この集団は早かったですね。その多分、原因はこの授業の中で、達成する目標が明確になったことだと思います。
漠然と授業を受けているのではなくて、「今日のこの時間にはこのことができるようになろう」と、具体的に彼らの前に提示できるようになったので、彼らはそれをやれます。それをやることが自分の力になる、というのが実感できるのです。それがいい方に連鎖していくので、すごく早い段階でこのやり方を受け入れてくれましたね。
今まで以上に理解するのが楽しくなったと彼らは言っていました。他の集団の生徒の言葉ですが、「先生、最近になって勉強と学ぶことの違いがわかってきた」というセリフを言ってくれた生徒がいました。
まさに教わるのを待つのではなく、自分から理解しようと動けるようになってきている子たちが増えてきたのだと思います。それが、集団が思ったより早い段階で成長してきている秘訣なのではないかなと思っています。
Q. 小学校、ひょっとしたら幼稚園から、受け身の姿勢が主体に変わる一番の決定的要因は何ですか?
鈴木 楽しいのではないですかね。自分たちが考えて、自分たちが学んで、答えにたどり着いた時の快感。今日でも、子どもたちが「あ!そうか!」と言葉が出た時の快感。それが一番の彼らの薬なのではないでしょうか。あの快感を味わいたいからこそ一生懸命できるし、あの快感にたどり着きたいからこそ色々な方法でその答えに行き着くように頑張るのだと思います。
Q. 先生から最初に頂いたメールの中に、「生徒たちが頑張ると言っていました」という一言がありましたが、すごく象徴的だなと思いました。改めて、先生の役割とは何ですか?
鈴木 彼ら自身は、学ぼうとする能力や意思をすごく持っているので、それを素直に表現させ、育てていく為の環境の設定をしてあげることだと思います。時には迷う時もありますが、その時は道しるべになってあげればいいのです。彼ら自身の学びをサポートしていくのが、教員のあるべき姿ではないかなと感じています。
私がこの考えに落ち着いたのは、実を言うと先輩の影響がすごく大きいのです。部活動の話になってしまうのですが、私はサッカー部の顧問をずっとしております。
教員になったばかりの頃、たまたまその時の監督さんが全国大会で10回以上優勝されていました。
日本代表に2桁以上の選手を送り込んでいる監督さんなのですが、その監督さんが「教えたって試合には勝てないんだよ。彼らが自分たちで練習の中で掴み取ったものしか本番には出ないんだよ」と言っていたのです。その言葉が私の胸にすごく残っていて、教員としてのスタートの言葉になりました。
「では、それを授業に落とし込んだ時に何かないかな。まさにあの子達が今やっている、自分たちで学んで自分たちで掴み取ったものが自分たちの力になっていく授業。これが教員のやるべきことだし生徒の力を付けていくことなのかな」と考えました。それこそが教員の立ち位置といいますか、役割なのではないかと感じています。
Q. 自身と『学び合い』の授業
鈴木 本格的に取り組み始めたのが、ちょうど1年前の1学期の後半からでした。最初は色々な本を読んだりしながらやっていたのですが、正直うまくいきませんでした。
うまくいかなかったというのは、点は伸びるのですね。ところが、彼らはそこで答え合わせをするだけです。そして、終わった後の振り返りを見ると、「友達と確認し合うとよく覚えられる」という回答ばかりでした。
要は、学んでいるのではなく、訓練をしているだけだったのです。これは『学び合い』という考え方ではないよな、と思いました。
ちょうど夏休みに入る前にそれに気付き、去年の夏休みにかけて色々な方とお話しする機会を得て、自分の取り組みを改善していかなければいけない、直すところは直していかなければいけないと思い始めました。そして、2学期からはかなり本格的に、セオリー通りに実施する時期が続いています。
セオリー通りに実施するとセオリー通りの結果が出てくるのが、『学び合い』の面白いところです。確立させているところで、なんとなく実験をやってみました。
うまくいったうまくいかないではなく、うまくいくにはうまくいくなりの理由があるし、うまくいかないのにはうまくいかないなりの理由があります。だからこそ、安心して生徒たちにこのやり方を進めることができると思い、1年くらい前からかなり本格的に、積極的に取り組んでいます。
Q. 自身の変化
鈴木 やはり私も、二十数年来の教員としてのキャリアがあるものですから、その中で自分のやってきたやり方に対する、知らず知らずのうちのこだわりがあったと思います。「生徒たちにこんなことはできないよ」「こんなことわかるわけないよ」という勝手な判断が、やはり私の中で働いていたのですね。
ところが、よくよく見て、よくよく聞いていくと、生徒たちは私の想定していることを遥かに超えていました。要は、私自身が生徒の取り組みや、生徒が「頑張ろう」「わかりたい」と思う気持ちを軽く低く見ていたのです。そこに気付いた時に「これだったら生徒たちが持っている能力を活かせればいいのではないかな」と気付いた、一番大きなターニングポイントだった気がします。
やはり一斉授業の典型的なものでしたし、その技術を磨いていたところだと思います。それこそ40人生徒がいれば、40人にわからせたい。実際は無理ですが、そういう理想を持ってやり続けていました。
そのためには話術を磨かなければいけない、パフォーマンスもできなければいけない、資料も用意しなければいけない、でもわからない生徒がいる、さあどうしたらいいだろう。その繰り返しをずっとある意味20年以上やってきていたなという気がします。
時には、「やはりわからないのは生徒がわかろうとしないからだ」と転嫁していた部分もあったのではないかなと、振り返ってみると思います。
ところが、生徒がわからないのは、生徒が学べないのは、全部こちらに原因があると気がついた時に、「この授業方法だとダメだな」「パフォーマーとして授業をやり続けるのには限界があるな」とすごく感じました。
Q. 20年間やられてきたことを、そこからまた1学期間を経て捨てたと思いますが、何がそうさせたのか、その決定的なことはありますか?
鈴木 『学び合い』をやっている時の生徒の顔と、講義をやっている時の生徒の顔を比べた時に、どう見ても『学び合い』をやっている彼らの顔の方が生き生きしているのですよね。
やはり、我々はいつも生徒と対峙していますので、生徒が生き生きしているのが一番嬉しいのです。
「庸介先生だから」と、本当は眠いのに「頑張ります」と努力をしっかりしてくれている生徒も多分いたと思います。でもやはり大変ですよね、「頑張っています僕!」という雰囲気なのですが、本当に学んでいる子たちは自分たちが楽しそうなのです。
その顔を見てしまった瞬間に、「それは生徒が楽しく学ぶんだったらそっちの方がいいよね」「こっちも見ていて気持ちがいいし、WIN- WINだよね」というところに落ち着きました。
最初はやはりバンジージャンプと一緒だと思うので、飛ぶのは結構勇気がいりましたね。でも飛ぶしかないなという思いです。
もう一つ飛べた理由は、飛ばなければいけない背景がわかったことだと思います。勉強していく中で、「何で今までのやり方だとダメなのか」「なんで学力だけではダメなのか」という背景がしっかりと理解できた時に、もう変わらざるを得なくなったのが、やはり非常に大きな原因だったと思います。
あともう一つは、本校がたまたま総合学科だったという理由が大きいです。総合学科は、彼らが主体的に自分たちの学ぶものを選んでいける学科です。ですから、前提として彼らが主体的になってないといけないのです。
では、彼らが主体的になれる授業ができていなければ、彼らは当然主体的に科目を選ぶことができません。だとするならば、総合学科こそ主体的な学びを実践しなければいけない学科だなと思いました。
寺脇研先生も、同じようなことを言っていました。「根っこは一緒だよ。総合学科、総合的な学習の時間、そして今回出てきている『アクティブ・ラーニング』という言葉、根っこは一緒だよ。その時期その時期に花が咲いてきた時に、1枚1枚姿を表してきているだけだ」。
そのお話を伺った時に、「総合学科の人間として、これはもうやらなければいけないな」「自分はこうだとこだわっている場合ではない。飛ばなければダメだ」と思ったのが、バンジージャンプを飛んだ要因の大きなところですね。
Q. 20年間、先生ご自身が培って育ててきた話術や板書技術、パフォーマンスなどの色々なものを捨てて飛ぶのは、辛くなかったですか?
鈴木 辛かったかな?僕はそれを楽しめてしまったタイプですね。去年の夏か秋に勉強会行った時に、課題を作るというワークグループの中で、『学び合い』の課題を作ったのですが、全然課題の作り方がわからなかったのです。困ったなと思ったのですが、『学び合い』の仲間なので助けを求めればいいやと手を挙げました。「助けてくれ」と言ったら、23~24歳の大学院生の子がスッと来てくれたのです。
「大学院生:どうなさいました?」「鈴木:課題の作り方わからないんだよ。教えてくれない?」「大学院生:わかりました。」「鈴木:こうこうこうで・・・。」「大学院生:こうしたらいいんじゃないですか?」と彼が提案してくれました。
その瞬間に、「あ!そうだね!それでいいよね!」と、自分の納得できる課題が一瞬にしてできてしまったのです。
ふと見た時に、「そういうことが自然とできるようになってきている世代が、まさにこれから教員になろうと、学校世界にフェードインしてくる」「かたや我々は今までのやり方にこだわっている点と固まっている部分があって、その新しい発想や生徒たちの学びを引き出す部分に関して躊躇してしまっている」と気付きました。
このままいってしまったら、間違いなくフェードインしてくる方が増えてきますから、フェードアウトしていく世代はもう去っていくしかなくなります。それも遠くない時代です。
私はいつまでも若い先生と仲良く話していたいタイプなので、今後の若い世代がやってくるものを当然私も理解しておきたいし、彼らに負けないようなことをやっていきたい、そのためにはやるしかないでしょ、と思いました。「負けないよ」という思いも含めて、そういう思いが楽しめている理由かもしれません。
Q. 授業のテクニック
鈴木 『学び合い』では、あまり声かけを頻繁にするのはNGというセオリーがあるのですが、集団の中の場のダイナミクスを大事にしたいなと思っています。
集団の中のダイナミクスやバイオリズムが上がったり下がったりする中で、下がってきた時に手をピッと当ててやるのも、ある意味必要なことなのかなと思っているのです。彼らの集中力を持続させていくための声かけです。
あともう一つは、あまりNGを出すことはないのですが、何をやると褒められるかをいつも明確にしておきたいと思っています。
「助けて」という声を褒めてやれる。そうすると、「助けて」と言うことは悪いことではないのだなという価値観がそこに生まれてきます。
そういう意味で、彼らのいうセリフをできる限り拾いたいですね。「あ!わかった!」というセリフを素直に口に出せる。それって素晴らしいことだよね、という価値観を彼らに見つけてもらい、身に着けてもらいたいです。そのために少し声かけは多くなっていると思います。
声を掛けている時は、生徒の方から聞いてくることもあるので、その時には教えるのではなく基本的にはヒントを出す形で聞き返すようにしています。
「生徒:先生、これって何?」「先生:あー、それはこうなのかな?君だったらどうする?」と、質問に対して質問で返すのですが、単純に私が答えを「こうじゃない?」と言うのではなく、もう一歩彼らが考えやすいようにラインを引いてあげる問いを発するように心がけています。
そのヒントから導き出されるケースもありますし、そのヒントによって逆にこんがらがらせる時もあります。非常に難しいところではあるのですが、おそらく私のヒントを聞いて理解できる子はいるのですね。理解できない子も当然います。要は言葉の捉え方の問題もありますし、相性の問題もあると思います。
しかし、必ずしも私のヒントが理解できないからその子がダメなのかと言ったら、そういうことではありません。彼がわかりやすい言葉で喋ってくれる仲間からヒントをもう一回聞き出せばいいだけの話なので、「庸介先生の言ったことってどういうこと?」と聞ければ、より解答に近づいていくことができます。
Q. 男女の話し合いについて
鈴木 最初の段階がありますから、1学期だけなので、どうしてもやはり男の子は男の子同士、女の子は女の子同士というのは必然的に出てきます。ただ、無理やり男女混じってやりなさい、と言うのも変な話かなと感じています。
基本的に今日のあの集団は1つのプロジェクトチームなので、プロジェクトチームの中に小さなチームがいくつもあります。それが別に女の子だけであろうが男の子だけであろうが問題はありません。
なぜならば、最後にそれが随分とくっついてくる局面があったと思うのですが、必要に応じて彼らは集団を変えていけます。最初に普段から話しやすいと思っている男子同士・女子同士のチームがあり、他のグループと混じっていかなくてはいけないと気付いてきた時に、それが解決されるのではないでしょうか。
損得でいう得ですよね。彼らが、「男女関係なくみんなでワシャワシャやった方が得だ」という価値観を持てば、自然に解決できていくと思います。
Q. 授業の最後に5分間延長戦がありましたが、あれは毎回あるのですか?
鈴木 ないですね。今回に関していうと、見取っている中で全員があと一歩というところまで来ていました。時間との勝負に追いついていなかったので、彼ら自身の中ではあそこで切るのが本来のセオリーなのですが、彼らのなかでやり遂げたいというダイナミクスが異常に感じられました。
それなら、「納期には間に合わなかったのですが、いついつまでだったらできますので、少し待っていただけませんか?」という交渉をするのです。これは実世界でもあることですよね。当然そこには色々な諸条件が発生すると思いますが、それに類する形で今回は許可をしました。
Q. 全く初めてですか?
鈴木 過去に同じ様なことが1回ありましたね。しかし、授業のダイナミクスが追いついていない時、本当にただ単にできない時は一切やりません。
今日は、もうあと1歩、あと3分あればクリアできるという思いが彼らの中で非常に強くなっていたので、その思いを大事にしてあげたいなと、判断をしました。
実践者の方からすると、それはルールが違うと怒られてしまうかもしれませんが、その場のアレンジとして堪忍してくださいというところです。
目的は子どもたちが理解することなので、札を動かすことが目的ではありません。彼らが理解するために必要なことであれば、場に応じてそれを応用編として入れるのも私はありだと感じます。
ただ、あれが日常的になると、延長戦があるのが当たり前になってしまいます。アンコールありきのコンサートのようになるので、意味がなくなってしまいますよね。だからこそ、そこの見取りをしっかりとやって、彼ら自身が今、どの様なダイナミクスの授業をしているのかをしっかり掴んだ上での判断が必要かなという気がしています。
Q. 心がけていること
鈴木 今年一番困っているのは、今本校でこの取り組みをしているのが私しかいない状況だということです。
自分のやっている取り組みがいいことなのか悪いことなのか、どこがまずいのかどこが良い所なのかを客観的に見られないのが、今非常に困っているところですね。ですから、やっている方々と繋がることを今は大事に考えています。
昨年度の秋頃から、静岡市内を中心に『学び合い』の実践者たちが定期的に集まる会があるのですが、そこで情報交換会及び相談会・悩み相談室のようなことをやり始めています。そこで、様々な自分の振り返りができるのはプラスになっている気がします。
その会には、小・中・高・大学の先生・大学院生・PTAまで参加しているので、色々な角度から客観的にもう一回、子どもたちが学ぶのを見ることができます。それが今回私のやっている実践の中でも非常に役立っている、冷静に見られる機会で、見直すことができる機会だなと思っています。
Q. 周囲の反応
鈴木 珍しいことやっているねという目では見られましたが、チャレンジしていくこと自体には周りの先生方も興味を持って見ていただけたと思います。
そこは非常にありがたかったですね。管理職も含めてですが、「チャレンジしてみてください」と言っていただけたので、「ありがとうございます」とチャレンジを続けています。
ただ、当然のことながら、1回生徒の中から反対が出たことがあります。去年の冬、あるクラスの一部の子たちから「先生、やめてくれ」という意見が出ました。
要は、正解がわからないことに対する不安が非常に多かったのです。あともう一つは、テストと『学び合い』の課題が一致していない、『学び合い』で学んでいることとテストの評価問題が一致していないことから、彼ら自身がすごく不安を覚えたようです。そして、「やめてくれ」と言われました。
原因を突き詰めていくと、私の仕掛けのミスなのですよね。授業と評価が一致していなかった部分と、彼らが「正解は何なのか」と不安に思うところを明確にしておいてあげられなかった部分が仕掛けのミスでした。
ですから、それからまた授業に改善を加えていったのです。今日も答えをパパっと周りに貼ってあったのですが、あれもその反省から出てきたやり方です。
以前はある程度時間が経って、「はい、答え合わせして」と答えを貼り出していたのですが、ふと気付いた時に「私自身、問題集をやっていてわからなかった時、解答を見て『そういうことか』と学ぶことが沢山あったよな。不安に思うのであれば、最初から答えを出しておけば良い」という考えに至りました。
それをやった時に、また1つセリフが出てきました。「答えに頼るのは悪いことではないよ。その代わり、答えを出しているということは、合っている・間違っているはあまり価値がないから、何でその答えになるのかちゃんと理解して」。
私の言葉かけが、その瞬間からまた変わってきましたね。それが過去の失敗からの改善ですかね。
そのあとすぐスイッチが切り替わったように、「先生納得した!」とはいきませんでしたが、「やっていく中で不安は消えた」「逆にこうやってくれた方がやっぱりいいです」と、最初の方の振り返りの中に書いてありました。
Q. 評価の難しさ
鈴木 定期テストがありますので、その部分は当然のことながら入ってきます。あとは、今日もやったのですが、振り返りシートですね。
その中を点数化していくという方法で、今取り組んでいます。自己評価を交えていく部分でしょうか。その中で納得できる評価を探っているのですが、正直いまだに勉強中です。
まだこれが正解かどうかという確証が出ていないですね。今年度1年かけて色々と試しながら、見ながら、になると思います。評価は難しいところですね。
彼ら自身が振り返った時に、あくまでも狙いがどれだけ達成できるかが評価になります。「狙いに対してどうだろう」「その手法としてそれがうまくいったか、どうだろう」というところは、当然評価に入れていきます。
ただ、学力だけではないと最初に言いましたが、ヒドゥンカリキュラムの部分に入ってきます。今回のワークシートでいうと、「どれくらい他者と積極的に関われたか」「集団に対してどれくらい貢献できたか」というところが、その部分を評価に繋がってきますね。
Q. 例えば全く誰にも教えない、ずっと自分一人だけでやっている子がものすごくいい成績をとったとすると、これは評価としてどうなりますか?
鈴木 点数だけの評価だったらものすごい点がつきますが、自己評価の部分が当然のことながら入ってきますので、当然のことながら凹んでいきます。自己評価の部分は、実をいうと最初の何回か公開しています。
すると、「あの程度でこうつけちゃうの?」「あいつあんなに頑張っていたのにこんな程度なの?」と、何回かやっていくうちに子どもたちの自己評価が擦り合わさってくるのですね。
そうすると公開する必要がなくなってきます。今は、データの一貫性をとることにチャレンジしているところですね。
今年はそれでこの1学期の評価をつけています。客観的に見ての評価と、彼ら自身が受け取った評価と、私自身がテストの点をメインとしてつけていた時代の評価がどれくらい違うのかな?というのを検証していきながらやっていこうと思っています。
Q. 「安心して学び合える」ということ
鈴木 やはり大人が、「こういうことをやることには意味がある」と明確にしたことで、子どもたちが安心できたことが、一番大きなところではないでしょうか。
やはりこちらが不安に思ってうやむやにやっていることは、子どもたちはもっと不安に思って、もっとうやむやにやってしまいます。だからこそ、我々大人の方がはっきり道筋をつけてあげて、はっきりと支援する体制を整えていきました。
すると、彼らが安心して学び合える状況が生まれます。だから彼らは楽しめて、学び合え、その先の学ぶ快感に気付くことができたのかなと思います。
この授業の中で、何を理解してどういうゴールにたどり着くのがいいことなのかが、少し不明確だったのではないかなと思いました。この授業をやることによって、学力以外にどういうものが求められているのかが、明確になっていなかったのです。その部分で、彼ら自身が不安を感じたのではないかなという気がします。
Q. 学校の状況
鈴木 本校は、この地区でいうと最近やっと上がってきたところです。中の中~中の下というところではないでしょうか。
いわゆる進学校とは違います。かといって専門高校ではありません。入試レベルでいう競合校だと、この辺では伝統ある専門高校及び中堅校と言われる普通科になってきますかね。
Q. 進学と就職の割合
鈴木 専門学校まで入れると7:3くらいです。
Q. AL型授業で変わった認識
鈴木 「生徒は有能ですよね」という言葉を我々は使うのですが、想定している以上にやれますよ。その能力を活かしてやらないのは大人の責任です。本当にそれは、このチャレンジをするようになってから感じています。
Q. チャレンジをする前、先生はどうお考えでしたか?
鈴木 やはりできないだろうと思っていました。できないだろうし、楽な方へ行ってしまうだろうなと感じていました。でも、実際楽な方に行こうとするのは、大人が楽な方へ行きたがる状態を作っているからなのですよね。
従来のやり方ですと、どんどん生徒をある意味追い込んでいくというか、追い詰めているというか、追い立てるようにしてやっていきました。追い立てられて疲れた子たちは息を抜きたい方向に行くという、その理屈がわからなかったのですよね。
自分たちから歩いている分には、息が切れないから一生懸命できます。後ろから鬼が追いかけるようにするから、疲れ切ってしまってみんな楽な方に行くのです。このやり方を知ってからそこに気付けて、確信できました。
漠然となんとなくそういうものなのかなと、以前から感じてはいました。それこそ部活動を通じて監督さんの言葉を聞いた時や、選手たちがやっていることを見ていた時にそれを少し感じていました。
Q. 今後、先生がこんな挑戦をしていきたいという野望はありますか?
鈴木 子どもたちがこれだけ学力含め様々な能力を持っているので、それをもっと大人たちが引き出せる学校を作っていきたいなと思います。本校は総合学科ですが、総合学科はそれにもっとも適した学校だなと思っています。
野望として言うならば、総合学科的な考え方、アクティブ・ラーニング的な考え方を持った同根である学校が世の中に増えていったら面白いですね。
そうすれば、普通科も専門学科もどんどん変わっていくだろう。そうすると高校が変わり、高校というものがもっと面白いところになるな。高校の授業を受けたいと思えるようになって、参加したいと思えるようになってくるな。そんなものを作っていきたいですね、夢のような野望です。
Q. 先生のようにキャリアがある先生が、そこまで築きあげてきたものを一旦捨て、生徒に対して抱いていた自分の信念を変えるのには、ものすごく勇気がいることだと思いますし、それができない方々はすごく多いと思います。そういう方々に対して、是非エールを聞かせてください。
鈴木 正直言って、時間のかかることだと思います。スイッチが切り替わったように、次の瞬間から変われるよという部分もありますが、全部がそうではありません。無理強いはできないなという気はしています。
ただ、間違いなく時代はもう変わらざるを得ません。我々の目の前にいる子どもたちの未来を我々は作っていかなくてはいけないし、支援していかなくてはいけないし、サポートしていかなくてはいけないのです。子どもが変わるためにもまず、大人が変わりましょう、大人が一歩踏み出しましょう。
「今まではさ」という言葉ではなく、「これからはさ」という言葉をみんなが使えるように頑張りましょう。エールというとおこがましいですが、そんな仲間を増やしていきたいなと考えます。
※鈴木先生の政治経済の授業は、学校導入版で視聴できます
学校導入版の詳細はこちらをご覧ください...
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