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ダイジェスト
ダイジェスト [1分14秒]
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インタビュー前編
「教えない」授業の進め方1 [14分08秒]
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インタビュー後編
「教えない」授業の進め方2 [29分55秒]
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解説1/3
アクティブ・ラーニング授業開き~『学び合い』オリエンテーション~ [7分27秒]
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解説2/3
アクティブ・ラーニング授業開き~『学び合い』オリエンテーション~ [9分18秒]
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解説3/3
アクティブ・ラーニング授業開き~『学び合い』オリエンテーション~ [7分20秒]
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インタビュー後編1/3
「教えない」授業の進め方2 [10分51秒]
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インタビュー後編2/3
「教えない」授業の進め方2 [9分02秒]
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インタビュー後編3/3
「教えない」授業の進め方2 [10分01秒]
アクティブ・ラーニング授業開き~『学び合い』オリエンテーション~「教えない」授業の進め方2 [29分55秒]
概要
13才のためのアクティブ・ラーニング入門動画公開!
今回の動画は、『第5回アクティブ・ラーニングフォーラム』にもご登壇された、 東京大学教育学部付属中等教育学校の對比地覚先生の授業です。
アクティブ・ラーニング0時間目「オリエンテーション」と、実際の授業の様子をご紹介します。
對比地先生がどんな思いで授業つくりをされていらっしゃるか、じっくりとお話をお伺いしたインタビューと合わせてぜひご覧ください。
<AL型授業 年間の割合は?>
對比地覚先生(以下、對比地) 正直、今の僕は、99%ぐらいかなと思います。欲が出て、大学の内容やりたいなと思ったときに、どこにも資料がないとどうしても講義せざるを得ない部分があります。
あるいは、「教科書にはないけれど理科だとこう考えたほうがいいよ」とか「これはオフィシャルではないけれど、僕が考える分かりやすいモデルはこうだよ、だからこの授業はこういうモデルを使っていくよ」と説明をして、僕のオリジナルなものをやらせることが少しだけあるので1%ぐらい減ります。
基本的にはそれ以外、教科書に書いてあることや指導要領に書いてあることに関しては、全部子どもに任せます。そのほうが絶対、僕1人でやるより効果も高いと思います。
<今の授業形式に至るまで>
對比地 アクティブ・ラーニングに挑戦して「この形で行こう」と思ったのは、たぶん2ヵ月ぐらいかかったかなぁと思います。1回それを経験すれば、1ヵ月ぐらいでその授業はこういう授業をやっていくのだという完成形が分かってきます。
無駄なところを省けるので、1ヵ月ぐらいで出来るようになってきました。今は、もう子どもたちのことを信じて、「これ、おまえたちなら出来るよね」と思っているので、初回か1週間ぐらいで順調に行くようになっています。
やはり教員が、こいつらに任せられるかどうかが大事だと思います。俺1人でやるよりは、こいつら全員の力でやったほうが絶対良いのだからという覚悟が決まれば、すぐにできますね。
自分の反省点や若気の至り、今もですが若気の至りという点で言うと、むしろ任せれば生徒の力が伸びることが分かっていた分、若干自分を超えて欲しくない部分がありました。
課題を少し不明確にして、最終的に僕に確認しなければ答えが出せないような、幼い、意地悪な課題作りをしていたのですね。
やはり普通の授業をしている先生の意識としては、そのことについて一番教室の中で知っているのは自分でありたかったのです。今まではそれを知っている自分からまだよく分からない子どもたちに対して、こうだよという知識を授けたり与えたりしていました。
しかし、それをやらないと子どもたちがどんどん力を付けていって、自分の権威がなくなってしまうという恐怖があったのだと思うのですね。
教員は確かにそのことについての知識はたくさんあるかもしれませんが、アクティブ・ラーニングの『学び合い』の役目としては、プレイヤーではなくマネージャーのほうだと頭の中をチェンジしなければいけなかったのです。
僕はサッカーをやっているのですが、サッカーをするのは選手で、僕らの役割は監督です。今自分に求められているのは、プレイヤーとしての有能さではなく、いかにプレイヤーが自分たちのフィールドの中で良いプレイを出来るかという、マネージャーとしての有能さだと気づきました。
自分の教員としての価値、評価があるのだというところにシフトすると、いかに生徒が誤りなく勉強しやすいように出来るのか、いかに自分を超えさせるかにシフトすればよかったのだなと思ったので、意地悪な課題作りから抜けました。
それまで本当に失敗続きで、任せても「なぜこうやらないのか」と叱ってばかりだったのですが、よくよく振り返ってみた時に、自分の中でやはり自分を超えてほしくない、自分を超えてしまったらどうしようという恐怖心がありました。
なかなか超えてしまいそうな時にはあやふやにしてしまっていたのですが、今はもっと超えられる、はっきりと彼らがどこを超えたらいいのかをよく分かるような課題にしています。
誰が見ても達成基準がはっきりしていて、僕に聞かなくても、僕の力がまったくなくても、自己判断して達成出来た、達成出来なかった、出来るようになった、分かるようになったことが分かるような課題にしました。まだ分かるようになってないことを、しっかり区別出来るような課題にシフトしました。
<AL型授業における現状の課題>
對比地 やはり今まで一斉指導で慣れてきた子たちなので早く正解が知りたいと思ったり、正解がある前提で授業をしているので、自分で答えを作っていくという意識が弱かったりしました。
「先生、結局答えは何なの?」「「結局、正解は何なの?」「これ、合っているの?」と、ある権威を持っている人から許可してもらわないと、不安になってしまうところがどうしてもあるかなと思います。
課題としては、これから自分で答えを見つけていかなければいけない世の中になるということを、しっかりと認識してもらうことです。正しいか正しくないかを誰かに頼るのではなく、「間違いないよな、これでOKだよな。自分としてはこれで一番の答えだよな」と自分でしっかり納得できるところまで、突き詰めて考えたり答えを出したりしてもらいたいです。粘り強く取り組んでもらいたいのは一つですね。
あともう1点は、「答えが分からないのは、自分が劣っているからだ」という認識が強いため、なかなか友達に聞きに行けない人がいます。
あるいは、自分の答えが合っているかどうか不安だから、このまま友達に伝えるのはまずいのではないかと思って、その不安から関わり合いが弱くなってしまう人もいます。
自分の弱みを見せられない部分がどうしても課題だと思います。ただ、やはり一度その壁を越えられた子は、弱みを見せてもいい、むしろ弱みを見せることによって「そうだよね、俺もそこ悩んでいた」とお互いホッと出来ることがわかります。
「あいつは立派そうだったけど、実は俺と同じ事悩んでいたのか」と仲間意識が強くなっていくので、なかなか難しいことですが是非やってほしいと思っています。これを言ってしまうとナメられるのではないか、バカにされてしまうのではないかという気持ちを乗り越える勇気を持って、取り組んでほしいな、関わってほしいなと思っています。
<ALに慣れていない生徒たちへの対応>
對比地 授業中はあまり教え合っていませんが、「休みの日に新しいスマホ買ったのだけど、これどういじくったらいいの?」「ゲームのあそこはどうやって攻略したら良いの?」ということはガンガン起こっている会話ですよね。
そういう状況を作り出せばいいだけなのです。全員達成しなさいという課題が出たとき、分かっている子は教えないと、こいつが出来ないことになるし、分かってない子は教えてもらわなければいけない状態になります。
それを頭の中に入れて、達成出来なかった時に、「なんで達成出来なかったの?今、達成出来た人はだれ?君、出来ることあったよね?達成出来なかった人はだれ?これだけ達成出来た人がいたのだから色々やり方あったよね?」と話をします。
これは少し厳しめのやり方ですが、やさしめでいくならばやはり隣同士で聞き合っている時に、「良い関係作っているねぇ」「勇気出して、教えてと言えたの?」と周りの子に聞こえるように言います。すると、「質問すると、良いのだな」「教えに行くと、先生は褒めてくれるのだな」と思わせることができます。可視化、周知させるのが一つの手です。
そういうことを初めのうちは見逃さずに、さっき言った「良いところ探し」ではないですが、どこに良いことが起こっているかなということをしきりに見て、見つけたら「おお、ここ良いねぇ」だけでも良いので、そこを褒めてあげます。
「おまえら、どんな良いことあったの?」と見に行くと、動き席を立ちます。そこで席を立っても別に僕らが怒らなければ、席を立つことが怒られないことだと分かります。
何が良いことなのかが、先生の言葉ではなく生徒たち同士で共有されていきます。「質問すると良いのか」「教えに行くと良いのか」「遠くの離れたところに行くと、けっこう良いことあるのか」と経験させていくのが、慣れてない子たちの初めのアクティブ・ラーニング、自分たちで授業を作っていくという経験をさせる一歩としては良いのではないかと思います。
<AL型授業 生徒への効果>
對比地 何を教えたかということなら、おそらく従来の一斉指導のほうが高いと思います。一斉指導で教員が教えた分は、全部生徒に入っている前提なので高いと思いますが、生徒が何を学んだかということならば、アクティブ・ラーニングのほうが高いかなと思います。
どこが分からないかがはっきりしてくるので、そこに時間を掛けて“分かる”をどんどん積み重ねることが出来るので、空洞がない状態ですね。
あるいは空洞があってもそこは問題にならず先に進んでいける状態で、子どもがしっかり理解を着実にしていけるので、その場限りの力にならず、自分の身になっていると思います。
僕がまったく何も言わないので、自分でこれ必要だ、ここが分からないからもっと勉強したほうがいいなと、それぞれが自分で「これがいいのではないか」と考えて実行します。指示待ちではない分、何をやらなければいけないかという最後のゴールは決まっていますが、それをどう超えるか、そこにどうアプローチするかに関しては、全て生徒が自分で考えて自分で実行しています。それを考えると主体的な学びを実現できるかなと思います。
僕が教えないので、子どもたちはお互い分からないことを聞き合ったり、教え合ったりしなければいけません。そうすると、必然的に対話が生まれます。対話無しでアクティブ・ラーニングを行うのは、相当な天才の集まりでない限り無理だと思います。
やはり色んなレベルの子たちがいますので、対話は必ず起こってくるかなと思います。僕も判断は難しいのですが、深い学びと言った時に、僕の印象ですが決められたレールから外れる感じになると思うのですよね。
特に、僕の中で深い学びの一番のポイントは自分から発する疑問だと思うのです。やはり自分で「これってどうなのだろう?」と誰も気付いてない部分に対して思うと、自分発信ですからもっと知ってみたいと思います。
アクティブ・ラーニング『学び合い』の場合だと、「え?これってこう?こう?教科書のこれとこれの記述からすると、こうなるはずだけど」のように考えるのです。
例としてあったのは、エイズ患者は花粉症になるの?免疫力が低下しているのだから、アレルギーにならないのでは?という話が生徒から発信されました。普通は誰も問わないですよね。
普通の問題集にはないですが、それってすごく面白い疑問だし、それを自分から発信して面白いねと友達が言ってくれば、すごく調べていくと思うのですね。もちろん、答えはあるのですが、用意されている答えではなく、自分から疑問を持って、どんどん深めていく経験が出来るのです。
これはやらなければいけませんよというのではなく、何をやっても良いよというスタイルです。
「最終的にこの期限までに、これを達成してればいいから、寄り道してもいいよ」と言ったら、子どもたちはそういう疑問を持つこともあると思います。正直、こんなこと聞いたら、バカ扱いされるのではないかという思いも、気の合う友達なら「これって、どうなの?」と聞けるはずです。
そこから「それ面白いね」となって、特にとてもよく分かっている子から、「面白い、俺は気付かなかった」と言ってもらえると、一気にガーンと自分の中のポジションが上がるのです。自信にもなるし、疑問を持つことはこんなに良いことだと気づきます。
そしてそれをしっかり自分で追っていける経験をすることができるので、それを深い学びと言うか分かりませんが、それぞれが自分に合ったところで深めていけます。用意されたものではなく、そこにある自分の気付きの種などをどんどん深めて、根を張っていけるという点では、アクティブ・ラーニング『学び合い』は深い学びも実現できているのではないかと思います。
あと思考力、やはり自分で考えなければいけません。これはこういう理由でこうなりますというのは先生からは与えてくれないので、なぜこれはこうなのか、これとこれはどうして結びつくのか、こういう実験をやってみてこういう結果が出たけれど、なぜこれからこういうことが分かるのか。
それを考える道筋、こういう筋道を通って答えに行き着くのだという考え方のプロセスの練習も出来ます。あるいは自分なりにこういうことだからと、自分でじっくり時間を掛けて考えることが出来るようになります。
やはりゆっくりと自分のペースでないと、考えることはできないと思うのですよね。ですから、そういう時間をしっかりと確保できるという点でプロセスを学べ、そういう時間を取って、考える練習をすることができるという点で思考力は上がるということです。
判断力に関しては、こちらは答えを言わず、これで良いかどうかは自分で判断しなければいけません。毎回毎回、そういう判断をする機会が与えられているので、OKですね。
特に、答えがそれでいいのかは、正直教科書を見たら分かる部分もあると思うのですが、友達に教えている時に、こいつ分かったのかなというのは、あるところで判断しなければいけないですよね。
こいつはどこが分かっているのかを判断するために、信頼の部分もあると思いますが、「これは分かっているのかな?OK。これは分かっている。ということは、きっとここは分かってないのだろう」と、思考力が必要かもしれません。
質問してみて、分かっていると判断します。表現力という点からするならば、表現はやはり相手あってこそのものだと思うのですね。これを言えば、絶対全員が分かるものではなくて、その人に合わせてその人の理解度や反応を見て、表現方法を変えてみたりするものだと思います。
その中で、こういう方法で話してみたらこいつは分かってくれた、こういう方法があり得るのだなと学べます。
しかし別の人にやってみたらこの方法は効かなかった、というときに同じ方法ではダメなのだなということを学べます。こいつにはこういう方法がある、と色んな方法を試してその有効性を確かめること、自分の表現を磨くことが出来るのです。
それは相手の反応や変化を見て判断することが出来ます。これは自分にとって有効な表現方法であるということも学べるし、実際、実地に自分で表現をするという経験が出来るという点では、表現もしっかり出来ます。
その3つに関しても、やはりアクティブ・ラーニングは従来型よりも実現する可能性が高いのではないかと思います。人間関係で言うと、やはり先ほど言ったように、自分の弱みを見せられるので、チャレンジできるところが大きいと思います。
失敗しても、別にバカにされません。チャレンジしてみたいけれど自分一人では怖いという時にも、仲間がいると思えるのでチャレンジ出来ます。そういう人間関係的な部分の効果もあるかなと思っています。
<これからAL型授業に挑戦する先生方へ>
對比地 ある程度長い時間、10分や20分では足りないので30分40分、出来れば1時間の間生徒に任せ、その任せたことに関してはもう問わないほうが良いと思います。
ここが出来ていなかった、ダメだったというところではなく、この授業で誰が輝けたのか、どんな良いことがあったのかだけを見る。ダメだったところ、うまくいかなかったところはどこなのか、どこを改善すべきなのかではなく、どこが良いところが引き出せたのか、という「良いところ探し」をすると良いと思います。
それを毎回やるのは難しいので、この授業だけは子どもに任せる、と覚悟を決めるといいです。任せた結果どうなっても、そこはくよくよしないことです。始めるに当たって、初めに取り掛かるのは、良いところだけ見て悪いところは見ず、覚悟を持って1時間は任せることが良いと思います。
その残りはいつもの自分の授業で行えば、これでもやっていけるのかなと思います。ただ、それでも不安だという人は、定期テスト前などに時間調整で、この時間はテスト勉強に充てるよという時間が時々出ると思うのですね。
その時に、例えば自分で模擬テスト20分版のようなものを作っておいて、「最後の20分間でこの範囲のテストをするから、全員が100点取れるようにしてみて」「次回の初めにテストをします。この1時間まるまる使っていいから、全員が90点以上取れるようにしてみて」と言って任せます。
テストをやると言うと、もう教えることはないですし、前は自習だったわけですから、他の先生もそこでどうやっても問題視しません。実際テストやってみたら良い成績が出るので、このやり方もありかなと思えると思います。
授業を教える内容の授業ではハードルが高いと感じるのであれば、テストの前の1時間でもう教えることがない「時間調整のための自習の時間」をアクティブ・ラーニング『学び合い』の授業にするのが、一番ハードルが低いかなと思います。
<AL型授業に期待すること>
對比地 学校に来て勉強しましたが、やはり結局大人になった時に全員が全員、その勉強内容が活きるわけではありません。その中で困っている子がいた時に、ちゃんとした声掛けをしてあげる、あるいは自分が困っている時、適切に「ちょっと困っているのだけど、助けてくれない?」と言えるかが大事です。
誰に助けを求めたらいいのか、今は助けを求めずに見守ってあげたほうがいいのか、あるいはどういう声掛けをしてその子に手を差し伸べることが、一番その子にとって良いのか。それを学んでもらって、チームや集団として、みんながみんなを支え合って、全員が活躍できる大人になってほしいと思っています。
言われてみれば当然ですが、1人対10人だったら、絶対10人のほうが強いです。教室には40人いるわけなので、1人の教員の知識や頭の回転よりも、40人の頭の回転をフル動員したほうが絶対良いということが腑に落ちました。
むしろそうやっていたから、人間はこれだけ他の動物との違いを生み出してきて、協働というか、お互いの強みを活かして、1人では達成出来なかったことを達成出来てきたのだと思います。
今の日本は、1人1人がそうやって自分の強いところを出して、自信を持って出来ることをやっていったら、もっとすごく良いことになると思います。ですから、良い日本を作るためには、1人1人が自信をつけて、1人1人が自分が出来ることをそれぞれやっていって、日本を支えていってくれると良いなと思います。そういう力を付けてほしくてやっているのが一番大きな本質的な部分です。
<今後の展望>
對比地 今は単学年というか、2年生の理科、高校1年生の科学というセクションだけの授業になっているのですが、社会に出たら異年齢集団が当たり前だし、1年の差なんて全然ありません。
10年スパンぐらいで異年齢集団があることを考えると、やはりせっかく1年生から6年生までいる学校なので活かしたいと思います。社会に出たら、年齢差のある集団で、更に課題も違います。会社に行けば、マーケティングの人、販売の人、制作の人がいます。
それぞれの持っている「やらなければいけない分野」は違いますが、みんな力を合わせなければいけないことを見据えると、違う科目や学年の集団がお互いに協働して高め合えることをしたいなぁと思います。
それはやはり社会に出ていった時に、彼らにとってのアドバンテージになるかな、他のセクションだけでやっている学校の子たちよりも、スッと社会に入っていけるかなと思います。
会社なんて好き好んだ集団ではないので、自分が応募してたまたま入ったところに気の合わない人がいたというときも、年上だから敬わなくければいければいけません。なんか嫌だなという人たちとも、やはりやっていかなければいけません。
「俺のことをやりたいのに、あいつは自分の分野の話ばかりで、こっちの言い分をまったく聞いてくれない」というところと、うまくすり合わせてやっていける力がつくのではないかななど、いろいろ社会に出た時のことを想定しています。
異学年、異科目、違う科目の集団の中で、それぞれに与えられた授業の課題の目標を達成していく授業をしていきたいなと思います。要するに、その前提としては、合同クラスなわけです。
このアクティブ・ラーニングの『学び合い』は、基本的に先生が初めに課題を提示すればあとは環境整備でいいので、1人の先生が合同クラスを持つことができます。これは、生徒のメリットにはならないかもしれません。しかし、やはり女性の社会進出を考えた時に、例えば産休明けの先生の子どもが突然熱を出したとします。
テスト前だから授業を前に進めなければいけないのですが、自分の子の熱も心配だという時に、異科目、異学年が可能なら「僕、いいですよ。先生、自分の子どもの看病に行ってきてください」と言うことが出来ます。そうすれば先生も負い目なく、授業も進めることが出来るのです。
今後は介護のこともあると思うのですね。年配の先生の親が倒れてしまったり、いなくなってしまったりしたとき、代わりを探しに行かなければいけません。しかし教員の仕事は基本的に自分で順番を決められないので、先にこの授業をやろうということが出来ません。
そのときに「すいません、課題はこれなのでお願いします」と言って、介護に行くことが出来ます。やはりこれからの働き方という点で、教員も助かるし、そういうのを子どもが見ることによって、女性の社会進出や介護の問題はみんなで取り組めばいいし、みんなで解決していけばいいのだよねと思ってくれると思います。
そのおうちの課題だけではなく、みんなで支えて、みんなで出来るところをやっていけば、そんなに負担にならずに出来るよねと思ってくれます。ヒドゥンカリキュラムというか、隠れたところでメッセージを伝えることができるので、異学年や他科目の合同クラスを作って、2人の教員で1つの集団を見るというのが出来ると良いかなと思っています。ただ、そこまではおそらくすぐに受容できないと思うので、そこは理想ですね。...
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プロフィール
對比地 覚 先生
東京大学教育学部附属中等教育学校 理科教諭
1982年群馬県生まれ。
2005年より地元群馬の公立中学校にて理科を教え始め、
様々な教授法を模索する中、2010年から『学び合い』に取り組む。
2012年より現職。
アクティブ・ラーニングに魅せられ、更なる可能性を探るとともに、その発信に努めている。
執筆に、「『学び合い』で、自らの意識改革をする」(『授業力&学級経営力』2015年9月号、明示図書)
「すぐできる!アクティブ・ラーニング中学理科」(学陽書房)がある。
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